週刊清平メールマガジンより天聖経などの話しと 真の父母より 真の起源 「真」とは…。福母式の応用の可能性は?


週刊清平メールマガジンより   
最近、私は祈祷室で天聖経の訓読をしています。それをご覧になられているので、真のお父様は内容をよく御存じです。皆さんはまだ見ていないかもしれませんが、御言が非常に便利に、そしてよく理解できるように作られていると思います。
摂理の中で重要なのは、「原理」と真の父母様の「御言」です。それらを中心として摂理が進められていきます。真のお父様が霊界に行かれた後、真のお母様は「中断なき前進」をスローガンに掲げられ、韓国を中心として全世界が前進できるように様々な面で支援を行われています。その中でも、真のお母様は二世に対して特別な関心を持たれ、準備をされています。

真の父母より
真の起源 「真」とは
この天地間に真なる方がいるなら、その方は誰でしょうか? 絶対者です。この絶対者を、今日我々の韓国語で言うと「お一人しかいないご主人様」ということです。一人(韓国語でハナ)しかいないご主人様をもっと縮めて言うと、神様(ハナニム)になります。お一人しかいないご主人様が、神様だということです。

人間は、自分個体としては、すべての福が動機になりえない復帰路程に立っています。では、その動機は何か? 真です。人間が真なる姿を成すには、すべて生死禍福の根源であられる神様と関係を結ぶべきです。その関係を結ばなければ、人間個体内では真なる姿を成しえません。

真は、必ず神様が中心となるべきです。それで、人間は、全体的に収拾して主管しうる決定的な基盤を持つようになるとき、真が成されるのです。その基盤を持てなければ「真」という名詞は成立しえないということを知るべきです。

真の起源は、神様であられます。神様がおられることによって、真が成されます。神様が離れるようになるとき、真も離れるようになります。そこには真ではない、悪の起源が生まれるのです。

真があってこそ、真なる結果をもたらすことができます。言い換えれば、神様がおられることによって、神様の願いが成されうるということです。それゆえ、真だ、善だという名詞は、人間を主にして立てられたのではなく、神様を主にして立てられたのです。

このような観点から見ても、真は人間が勝手に考えることができるものではありません。すなわち、堕落した人間が勝手に管理する、そのような位置に従属しているのではなく、真が我々を主管しているということを知るべきです。それゆえ、我々は、いつも真の前に屈服すべきです。真を立てて、そこに順応すべきです。皆さんの現実的な生活や、あるいは良心生活を推し量っても、真は完全に天に属しているという事実を否定する道理がないでしょう。

真の原器
真なる心は、変わりません。それゆえ、それがなくては、皆さんが基準を立てられません。こうだああだと評価できないのです。宇宙の核ととともに、絶対的な基準に公証されうる内容の根を持てないのです。そうであると、そこに及びえないために、その及びえない基準から評価されたその存在は、流れていってしまうのです。

メーターのようなものも、その原器があります。それを中心として違っているのではないかということを判定することができるのです。全部問題が起きるなら、ここに合わせてみるようになるとき、ピッタリ合えば、それは万世に不平を言っていた人も一時に皆離れていくのです。(一八六�六六)

皆さんは、距離を測る尺度があるのを知っているでしょう。もし、一センチメートル単位なら、そのモデルというものは絶対的です。それは一つしかありません。そこに比較して、同じならそれは皆正しいというのです。しかし、いくら自分がいちばんだと言っても、そのオリジナル・フォーム(original form;原型)ときっちりと比較してみるとき、合わなければ不合格者なのです。

また、一センチメートルは一〇ミリメートルです。そこから一ミリメートルというものも絶対的です。それが一〇であれば一センチメートルになり、百であれば一〇センチメートルになり、このように上がっていくのです。それでこそ、それが連結して、どこへでもそれは共通的であり、統一的な内容を持ちます。

では、人の世界には、そのようなものがないか? 人の世界が統一されるには、原則的な基準から体と心が闘わず、一つになったそのようなフォーム(form;形態、形)が、「こうであるべき」というフォームがあるでしょう。(一二八�七八)

皆さん、数学なら数学では公式を言い、物理なら物理では公理を言い、定義を言うのに、その定義がどのようなものか? 公式というものは、それが小さなものですか? 公式の単位というものは、簡単なものですが、その公式的というものは、すべての物を比較できる主体性を持つべきです。それでこそ公式や単位の基準が設定されます。これを知るべきなのです。それが違えば、全体、小さい論理を策定して計算したのが、膨大な宇宙にピッタリ合わないのです。

我々が、このすべてのメジャー(measure;尺度)のようなものを見ても、一二進法とか一〇進法のようなものなどがあります。それが小さいですが、形態は皆ピッタリ合うのです。そうでなくては、これが回っていかないのです。全体が回っていかないのです。ある部分では合いますが、全体が合わないようになるときには、これが成立しないのです。全体存在の成立が喪失されるということを知るべきです。

それは、人間世界も同様です。真なる人が何か? 人間が生きていくのにおいては、スケール(scale)とメジャー(measure)のようなものがあって、力を連結させて、世界に拡大していくのです。それが全部均衡に合うように拡大するということです。

人間の人生は、人間が生きていく道にも、そのような公式的な道がなければならないという言葉が出てくるようになるのです。(一三三�九)


福母式!勝利の方程式
数字の意味と基本形
「存在しているものは、いかなるものであっても、それ自体の内においてばかりでなく、他の存在との間にも、陽性と陰性の二性性相の相対的関係を結ぶことによって、初めて存在するようになるのである。」原理講論、神の二性性相より

☆1は神様の数(主体数)、主体 (陽性)は対象 (陰性)がないと存在できない。
☆2は存在出来る。( 2以上で存在出来る )
 二重目的 ・授受作用・陽陰・プラス マイナス・縦横 など)
☆3完成数。
神、夫婦、子女の三段階をもって完成される。
☆4四位基台は、神の永遠なる創造目的 (全て四位基台になる)
これが、基本形・基本単位と考えます。
 
あらゆる存在をつくっている主体と対象とが、万有原力により、相対基準を造成して、良く授け良く受ければ、ここにおいて、その存在のためのすべての力、すなわち、生存と繁殖と作用などのための力を発生するのである。このような過程を通して、力を発生せしめる作用のことを授受作用という。
万有原力は縦的な力であり、授受作用の力は横的な力であるともいえるのである。
我々は、ここにおいて、万有原力と授受作用を中心として、神と被造物に関することを、更に具体的に調べてみることにしよう。神はそれ自体の内に永存する二性性相をもっておられるので、これらが万有原力により相対基準を造成して、永遠の授受作用をするようになるのである。この授受作用の力により、その二性性相は永遠の相対基台を造成し、神の永遠なる存在基台をつくることによって、神は永存し、また、被造世界を創造なさるためのすべての力を発揮するようになるのである。

福母式勝利の方程式は、一つの物差し、定規のようなものです。
早く、沢山の方に理解してもらいたいですし、私自身、理解してもらえるように努力します。
福母式勝利の方程式と言う言い方が、内容を分かりにくくしているなら、言葉を変えたいと思います。

数字をメインに原理を考える事で、言葉を越えて基本が理解出来れば、それを元に数字などで表現すれば、それぞれの国の文化や言葉を完全に覚えなくとも、原理の説明・応用が期待できる。


いつも、ブログ訪問ありがとうございます。感謝します。
ご意見、感想など、何でもコメントお願いします。
あなたの幸せを祈りす。

コメント

このブログの人気の投稿

歌♪『み旨の応援歌』

統一教会報道が、なぜ今も報道され続けるか? なぜ、Colabo問題、ナニカグループは報道しない?その答えは?気になるYouTube動画見つけました