2014年11月4日火曜日

瞑想をとうして良い自分をイメージしてください。

こんにちは!
今日も元気に頑張りましょう!
「神様の真の愛を相続しょう!」
天運が共にある生活を意識しましょう!
ハッピー!ラッキー!元気!
私が変わる。
わたしが変わる。
(良いイメージをしましょう!)
夢が叶う、心にイメージします。
感謝!ありがとうの心で、
よろしくお願いします。
私は、神様に愛されている。
神様に感謝します。
為に生きる!感謝の生活。
良心瞑想 神霊瞑想をとうして良い自分をイメージしてください。
成りたい自分をイメージしてください。
必ず、なれます。
ファイト!
皆さんに感謝!
神様に感謝します。

2014年10月12日日曜日

今回、三数的神様にこだわっているのでは、神様の創造の形、物差し、基準があったと仮説したからです。

『 神は絶対者でありながら、相対的な二性性相の中和的存在であられるので、三数的な存在である。』
『神も永遠性をもつために、二性性相としていまし給うのであるし、神の永遠なる対象である被造物も永遠性をもつためには、神に似た二性性相として存在しなければならない。』

神様は、三数的な存在であり、永遠性をもつために、二性性相として存在する。
創造が相似の創造であるからである。

今回、三数的神様にこだわっているのでは、神様の創造の形、物差し、基準があったと仮説したからです。
『絶対者でありながら、相対的な二性性相の中和的存在』であり、『永遠性をもつために、二性性相として存在する。』
『神の永遠なる対象である被造物も永遠性をもつためには、神に似た二性性相として存在しなければならない。』

神様の創造の出発が、三数的で、被造物も永遠性をもつためには、神に似た二性性相として存在しなければならない。
(全ての出発が、第一原因の神様である事を説明したいため。)
見えない神様ですが、被造世界を観察する事により、知る事ができる。
原理講論より
『今日、すべての物質の究極的構成要素といわれている素粒子は、みな、陽性、陰性、または陽性と陰性の中和による中性を帯びている。これらが二性性相の相対的関係を結ぶことによって、原子を形成するのである。』
と書いてあります。
「素粒子は、みな、陽性、陰性、または陽性と陰性の中和による中性を帯びている。」
私の中で、なぜ?と思う事がありました。
それは、「素粒子に陽性と陰性の中和による中性を帯びている。」中性子があるのか?です。

原理講論に、書いてある、すべての物質の究極的構成要素といわれている素粒子は、一つの基準になります。
被造物・被造世界の出発の基準だから、神様に似て、三数に成っている。

神は絶対者(+と-の統一体,中和体)でありながら、相対的な二性性相の中和的存在であられるので、三数的な存在である。

天国(天一国)は、夫婦が共に永遠に住む場所と、言われます。
天国(天一国)の出発の基準は、神様と夫婦の三位一体です。

統一教会は、家庭主義を主張します。
個人主義は、いけない!
天国(天一国)は、一人では、生活出来ない。
神様に似て、三数になる。
(神様と夫,男性と妻,女性が、一体になる。)
天国(天一国)、霊界に、夫婦が一緒に行くと言う事は、神様の目から見てです。
永遠の神様から、見たときに、50年や100年も、一瞬!だと言う事です。
人間の寿命は、人それぞれです。
天から、与えられた寿命を全うして、霊界に行く。

大切な事ですが、神様の祝福を受けて天国(天一国)、霊界に、夫婦が一緒に行く!
み言に、祝福にも、重生、復活、永生の祝福があると書いてあります。

この内容を信じて下さいとは、言いません。
皆さんも、原理講論を読み、確認して、考えて下さい。
何か発見があるかもしれませ。
原理講論を読み、新しく発見した内容は、自分で、確認したくなると思います。
考える事は、悪い事ではないと思います。

私が、気をつけている事は、いろいろ考え、間違いにきずいたら、間違いを認め、訂正することです。
統一原理を中心に考えていますが、原理の拡大解釈をして考える事もあるからです。
でも、統一原理を外れた考えは、統一原理ではない!
この事を中心に、私は、仮説を考えています。
*霊的集団の神様から、新しい原理を与えられた!これは、ウソです。
真のお父様は、語るべきみ言は、全て語ったと言われています。
真のお父様のみ言や、統一思想・統一原理から、まだ、明らかになっていない内容はあると思います。
私たちが、真のお父様のレベルに近ずく事により理解できる内容があると思います。
真のお母様も、早く、私たちが、真のお父様のレベルに近ずく事を願っています。
真のお母様に感謝します。

霊肉合同作戦!
霊界の善なる霊神(霊人)の皆さん協助よろしくお願いします。

全ての人に、神様の祝福がありますように !
祈ります。
感謝します。

2014年10月11日土曜日

神は絶対者でありながら、相対的な二性性相の中和的存在であられるので、三数的な存在である。*神様に感謝します。

神様に感謝します。
私に与えられた責任分担を全う出来ますように!
(責任分担が何かを、悟ることが出来て、実践する事が出来ますように!)
神様の導きで、天が願う基台が出来ますように。

 …自分の足らなさを感じますが、神様の願いに叶う歩みが出来ますように。

今日、考える内容は、…
原理講論に、次のように書いてあります。

『天国においては、神の命令が人類の真の父母を通して、すべての子女たちに伝達されることにより、みな一つの目的に向かって動じ静ずるようになるのである。』

『神も永遠性をもつために、二性性相としていまし給うのであるし、神の永遠なる対象である被造物も永遠性をもつためには、神に似た二性性相として存在しなければならない。』

『被造世界は神の本性相と本形状とが数理的な原則によって、実体的に展開されたものである。ここにおいて我々は、神は数理性をもっておられるということを推測できる。またさらに、神は絶対者でありながら、相対的な二性性相の中和的存在であられるので、三数的な存在である。したがって、唯一なる神に似た被造物(創一・27)はその存在様相やその運動、さらにまたその成長期間がみな三数過程を通じて現れるようになる。』

特に、注目している所は、
『神は絶対者でありながら、相対的な二性性相の中和的存在であられるので、三数的な存在である。』

私の考えは、
神は絶対者、(神は本性相と本形状の二性性相の中和的主体)、相対的な二性性相の中和的存在であられる、(相対的な二性性相は、性相と形状の二数)「三数的な存在である。」

原理講論に、『神の本性相と本形状は、各々本陽性と本陰性の相対的関係をもって現象化するので、神の本陽性と本陰性は、各々本性相と本形状の属性である。』

神様に感謝します。
神様の祝福がありますように!
神様と真の父母様に感謝します。
あなたの心の中に、神様の真の愛の花が咲きますように!
祈ります。



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感謝します。

2014年10月7日火曜日

あなたが、神様の子になる事を願っています。 言葉でなく、あなたが、何かを体験したら、実感として理解し感じることが出来るはずです。

私が思う事は、私の思う事です。(私の考えです。)
あなたが思う事は、あなたの考えです。
何が言いたいか?
自分の考えを、人に伝え理解してもらう事は、難しいです。
(他人の考えを全て理解する事は、難しいと思います。)
一人ひとり、考えは違います。それはそれで、良いと思います。
心情文化世界は、個性を大切にしながら、和合する世界!
外的に一つにする世界ではなく、心情を一つにする世界!
神様の心情を中心に、(天の父母様、真の父母様の心情を中心に)一つに!
神様の下の人類一家族は、
真の父母様の下の人類一家族!
天一国は、真の父母様の下の人類一家族である事を信じ、愛し、許し、一つに!
神様と真の父母様が親であります。
・お爺さんの立場が、神様で、両親の立場が、真の父母様です。子供の立場が、人類です。
神様を中心に、四位基台が完成します。(神様の創造理想・創造目的です。)
これを、自分の家庭にあてはめて、
神様、夫婦、子女の家庭的四位基台を完成させる。…

問題は、私です。
私の問題は、私が、解決する。(時間が掛かっても… )

あなたの問題は、あなたが解決する。

信じる・信じない。行動する・行動しないは、自分で判断する。
言われて行動して、その責任は、自分です。
他人に、言われて行動して、その責任を他人の責任にしたのが、…
(堕落論に、… 。責任転換、堕落性ですね。)

自己責任ですね。
真の父母様は、神様の直接主管圏内にいて、
私たちは、まだ、間接主管圏内にいると思います。
(ある人は、自分は、直接主管圏内にいると言う人もいるでしょう…
それはそれで、良いと思います。… )
まとまらない文になりましたので、このへんで、終わります。

神様と真の父母様に感謝します。
神様は、私が、神の子になる事を願っている。
他の誰でもない私!
みなさん、一人ひとりに対しても、そのように考えている神様です。
あなたが、神様の子になる事を願っています。
言葉でなく、あなたが、何かを体験したら、実感として理解し感じることが出来るはずです。
神様を意識する事は、必要です。
あなたは、神様から、沢山の恵みを受けている… 。
でも、それを、感じていないかもしれない…
全てを神様に感謝します。
神様、真の父母様感謝します。


2014年10月6日月曜日

神様を正しく理解する。神様を深く知ることを願います。祈り!

神様を知る!
神様は、知らない、いないと考える人もいるでしょう。
また、神様を信じる人、神様を感じている人もいると思います。

神様を正しく知る事は、大切な事です。
全ての問題は、神様を正しく知る事により、解決されます。
神様は、目に見えません。
でも、体は、あります。
(神様は、無形ですが、心と体があります。)
聖書に、『神は自分のかたちに人を創造された。すなわち、神のかたちに創造し、男と女とに創造された。』 (‭創世記‬ ‭1‬:‭27‬ ) と書いてあります。
神様は、人間を自分のかたちに創造されたと考える時に、
人間に、心と体がありますが、体は、目に見る姿・体と、体内もあります。
人体の構造があります。

神様を正しく知る事は、神様の無形の体や構造を知ることは、必要な事だと思います。

これらの、内容は、統一思想、統一原理を深く、正しく理解する事により分かります。
統一思想、統一原理は、万民が知り学ぶべき、思想、原理です。
統一思想、統一原理を学び、判断して下さい。

様々な問題解決に、神様を正しく理解して、問題解決される事を願います。

ブログ訪問ありがとうございます。
神様の真の愛の種が、あなたの心に蒔かれたことを、信じます。
あなたの心の中に、真の愛の花が咲き!
真の愛の実が大きく実る事を祈ります。
神様・天の父母様と真の父母様の祝福がありますように!

感謝します。




2014年10月2日木曜日

あなたは、神様を考えた事がありますか?

神様は、?
あなたは、神様を考えた事がありますか?
神様は、いないと考える人もいるでしょう。
でも、本当にいないのでしょうか?
全ての結果に対して、原因があります。
最初の原因、全ての(人間の堕落・悪の原因を除く)
第一原因が、神様です。
神様は、善の第一原因です。
第一原因の神様は、光の神様!
力・エネルギーの神様!
永遠・普遍・絶対の神様!
その他にも、神様の表現方法は、いろいろあります。
神様は無形です。無形の神様ですが、形があります。
どんな形か?
神様の創造!神様が産み出したものは、人間です。
(次に、被造物、被造世界です。)
簡単に言えば、神様の形に似せて、人間を創造した。
人間に、心と体があるように、
神様にも、心と目に見えない体で出来でいます。
(神様は、心と無形実体の体から出来ています。)
初めて、この内容を聞いた方は、信じられないと思います。
でも、本当です。

この内容を、深く理解出来るように祈ります。
これからも、いろいろな角度から神様を考えたいと思います。
今日は、これで終わりますが、関心のある方は、
次回もブログ訪問よろしくお願いします。

今日は、ありがとうございます。
あなたの心に、幸せの種が蒔かれたことを信じます。
また、あなたが、幸せの大きな実を実らせる事を祈ります。
みなさんに、神様の祝福がありますように!


2014年9月27日土曜日

『神は「光あれ」と言われた。』 これは、ビックバンのことだと思い込んでいるのでは? 自分の中にそんな思いが出て来ました。私の心のつぶやき!

「神様の真の愛を相続しょう!」

『はじめに神は天と地とを創造された。 地は形なく、むなしく、やみが淵のおもてにあり、神の霊が水のおもてをおおっていた。 神は「光あれ」と言われた。すると光があった。 神はその光を見て、良しとされた。神はその光とやみとを分けられた。 神は光を昼と名づけ、やみを夜と名づけられた。夕となり、また朝となった。第一日である。 (‭創世記‬ ‭1‬:‭1-5‬ )』
『神は「光あれ」と言われた。』
この事を、ビックバンと思い込んでいましたが、…
『神は「光あれ」と言われた。』この時に、時間、空間がスタートしたと思います。
それ以前は、無の世界でなく、時間・空間を超越した世界が存在していた!

・神様を原相で表しています。
統一思想・原相論より
…原相の世界は時空を超越した世界である。
それでは構造概念または時空概念から類推する原相の真の姿は、いかなるものであろうか。
それは一言で、統一性であると表現そるしかない。……。
無限大と無限小が同じであり、すべての空間が一つの点にすべて重畳されている多重畳の世界である。
それと同時に、上下、… 、内外が限りなく広がっている世界である。

聖書に、「はじめに神は天と地とを創造された。 地は形なく、むなしく、やみが淵のおもてにあり、神の霊が水のおもてをおおっていた。 」
この部分は、原相内での創造では、だから、 地は形なく… その後、神は「光あれ」と言われた。すると光があった。 と聖書に書かれています。

光あれが、爆発をイメージして、ビックバンを連想していました。
ビックバン説は、無から、ビックバン(爆発)から、全てが誕生したとするなら、私の考えは、この考え方とは違います。

宇宙誕生・宇宙創造が、無から誕生したのではない!
宇宙創造は、神様が、全ての第一原因であり、無からではなく、有からの創造です。
(神様の宇宙創造は、神様の心情を動機とした心情動機説です。)

神様の宇宙創造(被造世界創造)は、
相似の創造によって、創造されました。

神と人間との関係は父子の関係であり、相似の創造によって互いに似ているために、 本性相は人間の心に相当し、本形状は人間の体に相当する。

女性が、妊娠するのは、神様も妊娠するからと考えられます。
何を言っているのか?
そう思う方が多いと思います。


しかし、神様の創造が、相似の創造によって、創造されたなら、… 。
私の心のつぶやきでした。

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2014年9月22日月曜日

原理本体論、原相論… 私のつぶやき!

原理本体論は、実態の神様を説明している。

(性相と形状、陽性と陰性、
実態の神様を陽性と陰性、絶対性、生殖器を中心説明している。)
統一思想は、神様を原相論で説明している。
統一思想の原相論は、神様の何を説明しているのか?
それは、構造…。
原相の構造
(原相論の中に、原相の構造が、書いてあります。)

以前、原理本体論の次に、原理原相論が、発表されると聞いた事があります。
(うわさですが…)

私のつぶやき!


2014年7月28日月曜日

今回は、聖書を読んで考えます。『神は「光あれ」と言われた。』 これは、ビックバンのことだと考えます。

「神様の真の愛を相続しょう!」
今回は、聖書を読んで考えます。
今までの私の考えを元に、仮説をたてます。
『はじめに神は天と地とを創造された。 地は形なく、むなしく、やみが淵のおもてにあり、神の霊が水のおもてをおおっていた。 神は「光あれ」と言われた。すると光があった。 神はその光を見て、良しとされた。神はその光とやみとを分けられた。 神は光を昼と名づけ、やみを夜と名づけられた。夕となり、また朝となった。第一日である。 (‭創世記‬ ‭1‬:‭1-5‬ )』
『神は「光あれ」と言われた。』
これは、ビックバンのことだと考えます。
それ前に、あるのが、「はじめに神は天と地とを創造された。 地は形なく、むなしく、やみが淵のおもてにあり、神の霊が水のおもてをおおっていた。」この部分は、ビックバン前の創造(神様の第一段階の内的創造)を意味し、「 地は形なく、神の霊が水のおもてをおおっていた。」
神の霊は、天使世界(天使圏)を意味しています。

聖書の創世記‬ ‭1‬:‭26-27‬ には
『神はまた言われた、「われわれのかたちに、われわれにかたどって人を造り、これに海の魚と、空の鳥と、家畜と、地のすべての獣と、地のすべての這うものとを治めさせよう」。 神は自分のかたちに人を創造された。すなわち、神のかたちに創造し、男と女とに創造された。 (‭創世記‬ ‭1‬:‭26-27‬ )』と言っています。
神はまた言われた、「われわれのかたちに、…」これは、神様の創造は、神様は天使達と創造したことがわかります。
天使世界の代表が三天使長です。

「神はその光とやみとを分けられた。 神は光を昼と名づけ、やみを夜と名づけられた。夕となり、また朝となった。第一日である。」
この中の神は光を昼と名づけ、やみを夜と名づけられた。
このことが、夜の神様と昼の神様に繋がっていると私は、考えます。
「夕となり、また朝となった。第一日である。」
夕となりは、夜になることを意味して、また朝となったは、昼になることを意味します。第一日である。
この前の期間が、ありますよね!
内的一日が…(これは、仮説です。)
夜は、成長期間と言っています。

人間の目から見れば、朝となり、夜になれば一日です。
これは、神様の対象の人間から見ればです。
主体の神様から見れば、夜が主体で、昼が対象です。
聖書には、「やみが淵のおもてにあり、…。 神は「光あれ」と言われた。」
やみが始めからあり、神は「光あれ」と言われた。これは、対象を意味します。
神様も、夜の神様が主体で、昼の神様が対象です。
これが、私の仮説です。
(私は、今の時点で、これを信じていますが…)
いずれ、時が来れば、わかると思います。
正しいか?間違いかが?…
私自身、今後も、これが正しいのか考えていきます。
関心のある所に神が働くと聞いた事があります。

神様と真の父母様の役事がありますように祈ります。
神様と真の父母様に感謝します。
ありがとうございます。

2014年7月27日日曜日

創造原理・神様を数字で考える!福母式生活原理

数字で考える創造原理
(神様を数字で考える)
福母式生活原理
原理講論より、「被造世界は神の本性相と本形状とが数理的な原則によって、実体的に展開されたものである。」

神様は、0で表すことができるし被造世界では、神は、全ての第一原因でありますので、1と表すことが出来ます。神様は01や1と神様を数字で表すことが出来ます。
神様を0で表す時に、ゼロは、無ではなく、ゼロは、有です。
統一原理に、神様は、有であり、永遠、普遍、絶対の神様、ゼロは、無ではなく、無形である。無限、無限大であることを意味します。
無神論や共産主義は、ゼロを無と言います。
神様を否定しているので、私達も、今までは、ゼロを無と教えられたのでゼロを無と考えたかもしれませんが、これからは、ゼロは無限、神の無限大のゼロと意識してください。
運勢が変わります!

「神は絶対者でありながら、相対的な二性性相の中和的存在であられるので、三数的な存在である。」
   0ゼロは、絶対者の神、1は、二性性相の中和的存在の神様、被造世界は、二性性相から出来ています。

   原理講論に「神も永遠性をもつために、二性性相としていまし給うのであるし、神の永遠なる対象である被造物も永遠性をもつためには、神に似た二性性相として存在しなければならない。」
「性相と形状とは、同一なる存在の相対的な両面のかたちを言い表しており、形状は第二の性相であるともいえるので、これらを総合して、二性性相と称するのである。
この主体的な性相と形状のことを、神の本性相と本形状というのである。
神の本性相と本形状は、各々本陽性と本陰性の相対的関係をもって現象化するので、神の本陽性と本陰性は、各々本性相と本形状の属性である。」

1は、本性相と本形状の神様であり、本性相の内部構造はさらに内的性相と内的形状という二つの部分からなっている。
0ゼロ、絶対者の神は、内的性相と内的形状という二つの部分からなっていると言えます。
またこの、0の中心が、心情であり、内的性相と内的形状という二つの部分からなっている、三数があり、0と1を考えたとき、性相と形状と考えられます。
(これが、0、夜の神様と1、昼の神様考えられます。)
ビックバン以後、被造世界が、原理講論に書いてあるように、「神の本性相と本形状は、各々本陽性と本陰性の相対的関係をもって現象化する」+-、男女、ペアになって現象化して創造されている。

ビックバン前の神様が、第一段階の神様の創造。(内的創造)
ビックバン以後に、第二段階の神様の創造(外的創造)
神様の創造が、二段階創造なので、人間も、二段階創造になっています。
創造が相似の創造であるからです。

原理講論より、「神はそれ自体の内に永存する二性性相をもっておられるので、これらが万有原力により相対基準を造成して、永遠の授受作用をするようになるのである。
この授受作用の力により、その二性性相は永遠の相対基台を造成し、神の永遠なる存在基台をつくることによって、神は永存し、また、被造世界を創造なさるためのすべての力を発揮するようになるのである。」
相対基準を造成できるのは、神様の創造が相似の創造であるから…
(善の神様は、サタンとは、相対できない。神様が創造していないから、人間が、責任分担を完成出来なかったので、サタン、悪が、邪心が、存在するようになりました。)

被造世界を中心に見ると、性相と形状があり、0、1が内的性相と内的形状に成りますよね。

「創造の二段構造」
「すべての存在は二重目的をもつ連体である。」
人間は、二数的と見ることが出来ます。
万物は、三数的と見ることが出来ます。
初めに、神の本性相と本形状は、各々本陽性と本陰性の相対的関係をもって現象化するとある様に、神の本性相と本形状は、一次的であり、本陽性と本陰性は、二次的と言えます。
神様は、一数的なので、本性相と本形状に分かれた。
人間を中心に被造世界、被造万物は、二数的なので、本性相と本形状、本陽性と本陰性に分かれた。
と見ることが出来ます。
人間が主体で、対象が被造万物に成ります。
神様を中心に、人間と被造世界(被造万物)で、三数に成ります。

人間は、肉体が、腹中と地上で、霊人体は、地上と天上世界と二数の二段階で、合計三段階完成になっています。
その他にも、数字で考えると見えてくることがあります。

数字で考えると良い点は、数字は、世界共通である。
神様や統一原理を数字で理解出来れば、世界宣教で、言葉が分からなくても、原理用語を全て覚えなくても、数字を中心に、ポイントの言葉を覚えれば、原理を伝えつことができると思います。
国内でも、数字で理解出来れば、カイン的霊的集団の言葉を鵜呑みにしないと思います。
(自己判断ではありますが。)
個人的見解です。
二、三回読んで下さい。
理解出来たら、数字で考えるといろいろ面白いと思います。
感心のある方よろしくお願いします。

神様と真の父母様に感謝します。


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2014年7月26日土曜日

心情(目的)を中心に、個人の自由意志で、ユニット協力する共同体が、統一であり、自由と平和と統一の世界なのではないか!と考えました。


こんにちは
皆さんに感謝します。
神様と真の父母様に感謝します。
「神様の真の愛を相続しょう!」
統一とは?
統一教会員の考える統一と
一般の方が考える統一は、同じか?
皆さんは、どう思いますか?
数日前ぐらいから、考えています。
(み言などでは、聞いているので…。)
自由と平和と統一の世界
共産主義は、外的統一、平等…
一般の方は、統一と聞いて、外的統一をイメージしているのではないか?と思います。

神様を中心に統一すること、
自由と平和と統一の世界は、
外的に、自由と平和を内的に、心情を中心に統一する。
(心情文化世界ですよね。)
心情を中心(目的)によりユニット協力する共同体が、統一であり、自由と平和と統一の世界なのではないか?と考えました。

心情を中心にユニット協力するグループシステムが…。
グループ協力ではなく、ユニット協力にしたのは、目的ごとに、参加する人が違うことを表しています。
(神様を中心に個人の意志、主体性で、ユニットを組む)
自分がしたいことをする。
これが、基本です。

グループ協力は、固定されたグループなので、自分が、嫌なこともしないといけないので…(嫌なことはしない)
神様を中心に心情文化世界は、自分がしたいことをする世界です。

何を言っているんだ?と思う方が多いと考えますが、…。
創造原理の世界
本然の世界を学ぶ、考えることは、必要だと思います。

こんなことを、考え感じています。
統一、統一と言うより、神様を中心に協力、助け合う世界を目指しているのが、統一運動であり、「神様の下の人類一家族!」…
こんなことが、浮かびました。
一般の方は、統一と聞いて、外的統一をイメージしているのではないか?と思います。
統一教会は、外的統一を目指しているわけではありません。
誤解されている方がいると思います。
統一教会を正しく理解してください。
(統一原理を学んでください。)
それで、あなたが、判断してください。
よろしくお願います。
上手くまとまりませんが、今回は、これで終わります。

2014年7月23日水曜日

神様を正しく理解して、正しく知ることが大切です。二段階創造、二重目的自分の為から、神様の為に生きる!

神様を正しく理解して、正しく知ることが大切です。

「神は絶対者でありながら、相対的な二性性相の中和的存在であられるので、三数的な存在である。」

始め神様は、一数的存在と考えます。(1、又は、0、無形で無限の力、第一原因)
絶対者であり、永遠、普遍な神様
聖書‭ (黙示録‬ ‭22‬:‭13‬ )には、「わたしはアルパであり、オメガである。最初の者であり、最後の者である。初めであり、終りである。 」

神様は、自分が好きだった。
始め神様は、一人だったが、一人であることも知らなかった、(自分が好きで好きしょうがなかった)神様だと聞いたことがあります。
ところが、ある日、神様が、一人であることに、きずいてしまった。
それから、神様は、一人でいることを、淋しく思った。

神様は、愛の神様だから、誰かを愛したいと考えます。
それで、神様は、無形を愛したいと考えたか?
有形を愛したいと考えたか?と考えた時に、み言にあるように、神様は有形(有形実体)を愛したいと考えたことが分かります。

数字で考えた時に、一数は、存在出来ないと考えられます。
原理講論に『神は男性のアダムを創造されてのち、「人がひとりでいるのは良くない」(創二・18)と言われ、その対象として女性のエバを創造なさったあと、初めて「はなはだ良(善)かった」(創一・31)と言われたのである。』

人がひとりでいるのは良くない」(創二・18)と言われ、その対象として女性のエバを創造なさったあと、初めて「はなはだ良(善)かった」(創一・31)と言われたのである。とありますが、一数、ひとりは、良くない(存在出来ない)その対象として、エバを創造なさった。
「はなはだ良(善)かった」は、二数で、存在出来ると考えます。
二重目的、二段階創造、二性性相など、三数完成数。

「神は絶対者でありながら、相対的な二性性相の中和的存在であられるので、三数的な存在である。」
神は絶対者でありながら、(一人の存在。)相対的な二性性相の中和的存在であられるは、相対的な(対象に)、二性性相の中和的存在の神様であるので、三数的な存在である。と言えると考えます。

神様が、神様  (相対的な二性性相の中和的存在)を創造した。
それから、被造世界、実体世界を創造した。
神様の二段階創造。
統一思想には、「神と人間との関係は父子の関係であり、相似の創造によって互いに似ているために、 本性相は人間の心に相当し、本形状は人間の体に相当する。」
「神の性相はさらに内的性相と内的形状という二つの部分からなっている。」

原理講論に「神も永遠性をもつために、二性性相としていまし給うのであるし、神の永遠なる対象である被造物も永遠性をもつためには、神に似た二性性相として存在しなければならない。」
神様  (神は絶対者)が、神様  (相対的な二性性相の中和的存在)を創造した。
それから、被造世界、実体世界を創造した。
これを、もう少し深く考えてみます。
「神は絶対者でありながら、相対的な二性性相の中和的存在であられるので、三数的な存在である。」

性相と形状の二性性相と、陽性と陰性の二性性相とは、互いにいかなる関係をもっているのだろうか。本来、神の本性相と本形状は、各々本陽性と本陰性の相対的関係をもって現象化するので、神の本陽性と本陰性は、各々本性相と本形状の属性である。
本性相と本形状の中和的存在の神様
「本性相の内部構造 神の性相はさらに内的性相と内的形状という二つの部分からなっている」

神は絶対者で内的性相と内的形状という二つの部分からなっている。
相対的な二性性相 (本性相と本形状)の中和的存在
神様を考えた時に、絶対者の神様が、原因的神様、相対的な二性性相 (本性相と本形状)の中和的存在の神様が、結果的神様。
神様の中心に心情・真の愛があります。
心情と真の愛が動機となり、神様の創造が、始まりました。

人間の自己中心的は、いけないのか?自分の為に生きることは、いけないことか?
そんなことは、ないでしょう!
但し、いつまでも、自己中心や自分の為に生きることは、いけないことです。
神様がそうだったように、人間も、赤ちゃんは、愛を受けます。
愛される期間はあります。人間は、愛されて成長します。
次の段階、愛する、他の為に生きる段階へと成長していきます。
二段階になっています。
これが、愛される段階で終わてしまうことは、…良いことではないと言えます。

神様に愛されている自分であることを感じてください。
感じることが大切です。
日々の生活の中で、神様に愛されていることを、少しでも、日々感じることが出来るように意識してください。
そのことが、心の成長になります。
私達の心の主体が神様です。
そのことを神様に感謝しましょう!
ありがとうございます。

私の今回の内容は、み言や統一原理で確認してください。
この内容をとうして、皆さんが、今まで以上に、原理を中心に、神様を考える機会になることを祈ります。
(今回の内容は、私個人の見解です。)
ありがとうございます。

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2014年7月19日土曜日

私の生きる道!

おはようございます。
神様に感謝します。
良い一日でありますように!
「神様の真の愛を相続しょう!」
神様と共に生きる!
神様の為に生きる!
自分の出来ることをする。
神様に尋ねながら生きる…
傲慢な自分を反省と悔い改める。
神様を愛して、全てに感謝します。
神様を中心に全てを考える。
今まで、全ての中心に、神様を考えていたかな?…
言葉では、神様といいながら、心の中心に神様は、…
「ごめんなさい」
私の心の中心に神様がいつもいてください。
(心の中心に神様がいることを意識して生活します。)
神様の真の愛を、私が相続出来ますように。
家族、世界中の全ての人を神様を中心に、真の愛で、愛せますように!
為に生きる!感謝の生活が出来ますように。
祈り!
神様の下の人類一家族!
私達は、一つです。感謝!
全てを、神様に感謝します。
全てを、真の父母様に感謝します。

神様を忘れた生活が、全ての問題の始まりです。
そのことが、堕落につながり、人間が堕落したから、
心と体が、一つになれなかった。
心の葛藤が生じます。(矛盾が生じています。)
イライラ、不平不満、怨み、などいろいろ心の葛藤があります。
善、悪と考えた時に、良心の呵責を感じます。
心と体が一つになっていない。
心と体が善を中心に、一つになるのが、本来の人間、本来の私です。
そのことを知らずに、生きてきました。
何も、知らない、無知な人間、私達に、正しい人生、正しい真理を、教えてくれたのは、真の父母様です。
真の父母様のみ言により、正しい人生、正しい真理、正しい神様の姿、神様の心情を知りました。
そして、正しい人間、私達の生活、どのようにすべきかを教えてくれました。
感謝します。
真の父母様が、道であり、真理であり、命です。
正しいく神様を知り、正しいく人間、私を知ることが大切です。
天運・天福は、神様と真の父母様から来ます。
感謝します。

皆さんに神様と真の父母様の祝福がありますように!
\(^o^)/感謝!


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2014年7月15日火曜日

神は絶対者でありながら、相対的な二性性相の中和的存在であられるので、三数的な存在である。皆さんに神様の祝福がありますように!

「神は絶対者でありながら、相対的な二性性相の中和的存在であられるので、三数的な存在である。」
これが、神様です。
「神も永遠性をもつために、二性性相としていまし給うのであるし、神の永遠なる対象である被造物も永遠性をもつためには、神に似た二性性相として存在しなければならない。」

「存在するものはすべて、その外形と内性とを備えている。そして、その見えるところの外形は、見ることのできない内性が、そのごとくに現れたものである。したがって、内性は目に見ることはできないが、必ずある種のかたちをもっているから、それに似て、外形も目に見える何らかのかたちとして現れているのである。そこで、前者を性相といい、後者を形状と名づける。ところで、性相と形状とは、同一なる存在の相対的な両面のかたちを言い表しており、形状は第二の性相であるともいえるので、これらを総合して、二性性相と称するのである。」
「これは目に見える形より前に、性相の中 に、すでに形があることを意味するものであり、その性相の中の形がまさに内的形状で ある。」
この部分は、統一思想に書いてあります。
「存在界のこのような第一原因を我々は神と呼び、この主体的な性相と形状のことを、神の本性相と本形状というのである。」
「本性相の内部構造   神の性相はさらに内的性相と内的形状という二つの部分からなっている。」
この部分は、統一思想に書いてあります。
「性相と形状の二性性相と、陽性と陰性の二性性相とは、互いにいかなる関係をもっているのだろうか。本来、神の本性相と本形状は、各々本陽性と本陰性の相対的関係をもって現象化するので、神の本陽性と本陰性は、各々本性相と本形状の属性である。
我々はここにおいて、神における陽性と陰性とを、各々男性と女性と称するのである。
神を中心として完成された被造世界は、ちょうど、心を中心として完成した人間の一個体のように、神の創造目的のままに、動じ静ずる、一つの完全な有機体である。したがって、この有機体も性相と形状とを備えなければならないわけで、その性相的な存在が神であり、その形状的存在が被造世界なのである。神が、被造世界の中心である人間を、神の形状である(創一・27)と言われた理由もここにある。」
「神を中心として完成された被造世界は、ちょうど、心を中心として完成した人間の一個体のように、神の創造目的のままに、動じ静ずる、一つの完全な有機体である。したがって、この有機体も性相と形状とを備えなければならないわけで、その性相的な存在が神であり、その形状的存在が被造世界なのである。」
「性相はさらに内的性相と内的形状という二つの部分からなっている。」と統一思想で考えます。
上の有機体も性相と形状とを備えなければならないその性相的な存在が神であるから、「性相はさらに内的性相と内的形状という二つの部分からなっている。」と考えることができます。
「被造世界が創造される前には、神は性相的な男性格主体としてのみおられたので、形状的な女性格対象として、被造世界を創造せざるを得なかったのである。
神は性相的な男性格主体であられるので、我々は神を父と呼んで、その格位を表示するのである。
上述した内容を要約すれば、神は本性相と本形状の二性性相の中和的主体であると同時に、本性相的男性と本形状的女性との二性性相の中和的主体としておられ、被造世界に対しては、性相的な男性格主体としていまし給うという事実を知ることができる。」

「神の愛とは、神を中心としてその二性性相の実体対象として完成されたアダムとエバが一体となり、子女を生み殖やして、父母の愛(第一対象の愛)、夫婦の愛(第二対象の愛)、子女の愛(第三対象の愛)など、創造本然の三対象の愛を体恤することによってのみ、三対象目的を完成し、四位基台を完成した存在として、人間創造の目的を完成するようになる。
このような四位基台の三対象の愛において、その主体的な愛が、まさしく神の愛なのである。それゆえ、神の愛は三対象の愛として現れ、四位基台造成のための根本的な力となるのである。したがって、四位基台は神の愛を完全に受けて、これを体恤できる完全な美の対象であり、また、完全な喜びの対象であるから、創造目的を完成した善の根本的な基台なのである。」

「神も永遠性をもつために、二性性相としていまし給うのであるし、神の永遠なる対象である被造物も永遠性をもつためには、神に似た二性性相として存在しなければならない。

すべての存在は二重目的をもつ連体である。
全体的な目的を離れて、個体的な目的があるはずはなく、個体的な目的を保障しない全体的な目的もあるはずがない。したがって、森羅万象の被造物は、このような二重目的によって連帯しあっている一つの広大な有機体なのである。

被造世界は神の本性相と本形状とが数理的な原則によって、実体的に展開されたものである。
ここにおいて我々は、神は数理性をもっておられるということを推測できる。
またさらに、神は絶対者でありながら、相対的な二性性相の中和的存在であられるので、三数的な存在である。
したがって、唯一なる神に似た被造物(創一・27)はその存在様相やその運動、さらにまたその成長期間がみな三数過程を通じて現れるようになる。」

神様を知る!
神様を正しく理解していた人は、文鮮明夫妻(真の父母様)しかいません。
統一思想、統一原理を深く理解することで、神様を正しく理解できます。
私が、正しく、神様と統一原理を理解することで、世界が、平和統一されます。
目的を立てて、心が望むとおりに体が実践して、体と心とが授受作用をするようになれば、同志ができ、同志たちがお互いに良く授け、良く受ければ、もっと多くの同志を繁殖するからです。
神様の願いに叶う歩みが出来ますように。
全てに感謝します。

原相論より、
「統一思想は人類のすべての難問題を根本的に解 決することによって、人類を永遠に救うために現れた思想である。
ところで、そのような難問題の根本的な解決は、神の属性に関して正確に、また十分に理解することによっての み可能である。」

「神の属性に関する理論が原相論である。」
「ここで「原相」とは、原因的存在である神の属 性という意味である。
神の属性には形の側面と、性質、性稟、能力などの機能的な側面 がある。前者を『神相』といい、後者を『神性』といいます。
神の神相と神性を共に、そして正確に理解することによってのみ、人生問題、社会問題、歴史問題、世界問題などの現実問題の根本的な解決が可能になる。
統一思想で扱う神の神相とは、二種類の二性性相(性相と形状、陽性と陰性)と個別相をいい、神の神性とは、心情、ロゴス、創造性をいう。」

1 性相(本性相)
本性相と被造物
神の性相は人間に例えると心に相当し(したがって性相は神の心である)、それがすべ ての被造物の無形的、機能的な側面の根本原因となっている。
すなわち人間の心、動物の本能、植物の生命、鉱物の物理化学的作用性の根本原因である。
創造が相似の創造であるからで ある。

本性相の内部構造
神の性相はさらに内的性相と内的形状という二つの部分からなっている。
内的性相は機能的部分すなわち主体的部分をいい、内的形状は対象的部分をいう。
次に神の内的性相と内的形状を理解しやすくするために、人間の場合を例にして説明する(人間の心は神の心と似ているからである)。

内的性相
内的性相すなわち機能的部分とは知情意の機能をいう。知的機能は認識の能力であって、感性、悟性、理性の機能をいう。
情的機能は情感性、すなわち喜怒哀楽などの感情を感ずる能力をいう。意的機能は意欲性、すなわち欲求や決心、決断する能力をいう。
このような機能は内的形状に能動的に作用するから、内的性相は内的形状に対して主体的部分となっている。
知的機能における感性とは、五官に映るままに知る能力、直感的に認識する能力を意味し、悟性とは、論理的に原因や理由を問いながら知る能力であ り、理性とは、普遍的真理を求める能力、または概念化の能力をいう。

内的形状
内的形状は本性相内の対象的部分をいうが、それはいくつかの形の要素から成り立っている。そのうち重要なものは観念、概念、原則、数理である。

神は絶対者であるために本来から無数の観念をもっていたと見るのである。

数理は数的原理という意味であって、自然界の数的現象の究極的原因をいう。すなわ ち内的形状の中には数的現象の根源となる無数の数、数値、計算法などが観念として 含まれているのであり、それが数理である。

内的形状の原理的および聖書的根拠
次は以上の内的形状に関する理論が、統一原理および聖書のどこにその根拠がある かを明らかにする。

1 内的形状
「内性は目に見ることはできないが、必ずある種のかたちをもっているから、それに似て、 外形も目に見える何らかのかたちとして現れているのである。そこで、前者を性相といい、 後者を形状と名づける。」これは目に見える形より前に、性相の中 に、すでに形があることを意味するものであり、その性相の中の形がまさに内的形状で ある。

2 観念と概念
「神は自分のかたちに人を創造された。すなわち、神のかたちに創造し、男と女とに創 造された。」神は六日間で万物を創造されたが、一日の創造を終えるとき、 「そのようになった」、「見て、良しとされた」と言われたが、これは、心の中にもっていた観念や概念のとおりに、被造物が造られたことを意味する。

3 原則(原理)
「(神は)原理によって被造世界を創造され、その原則に従って摂理を行い給う」、「神は原理の主管者としていまし給い」、「神は原理によって創造された人間を、愛で主管しなければならない」などに見られるように、神は原則(原理)を立てたのち、人間と万物を創造されたのである。

4数理
「被造世界は神の本性相と本形状とが数理的な原則によって、実体的に展開されたも のである」、「神は数理性をもっておられる」、「神は数理的に も存在し給う方である」などに見られるように、神は被造世界を数理的に創造されたのである。このように内的形状を成している形の要素は、みな統一原理(『原理講論』)と聖書にその根拠があることが分かる。

以上は神の本性相内の機能的部分(内的性相)と対象的部分(内的形状)を人間の心 に例えながら説明したものである。
本性相をこのように詳細に扱うのは、現実問題の解決のためである。

2 形状(本形状)
次は神の形状(本形状)について説明することにする。
本形状と被造物
神の形状(本形状)を人間に例えれば体に相当するものであり、それはすべての被造物の有形的な要素(側面)の根本原因である。
これもまた相似の創造によるものである。

人間の創作活動は、心が構想した型に一致するように可視的な素材(彫刻の場合、石 膏または大理石)を変形させる作業であると見ることができる。言い換えれば、創作とは、 構想の型に素材を一致させる作業であるということができる。神の創造の場合もこれと同じであるといえる。すなわち、本性相内の内的形状の型または鋳型に無限応形性をもった素材的要素を与えて、一定の具体的な形態を備えさせる作業を創造ということができるのである。

二) 神 性
神の属性には、先に述べたように形の側面もあるが、機能、性質、能力の側面もある。 それが神性である。統一思想は現実問題の 解決に直接関連する神性として、心情、ロゴス、創造性の三つを挙げている。その中でも 心情が最も重要であり、それは今までいかなる宗教も扱わなかった神性である。次に、こ れらの神性の概念を説明し、それがいかに現実問題を解決しうるかを明らかにする。

1) 心 情
心情とは何か
心情は神の性相の最も核心となる部分であって、「愛を通じて喜ぼうとする情的な衝 動」である。心情のそのような概念を正しく理解する助けとなるように、人間の場合を例と して説明する。
人間は誰でも生まれながらにして喜びを追求する。喜ぼうとしない人は一人もいないで あろう。人間は誰でも幸福を求めているが、それがまさにその証拠である。そのように人 間はいつも、喜びを得ようとする衝動、喜びたいという衝動をもって生きている。それにも かかわらず、今日まで大部分の人々が真の喜び、永遠の喜びを得ることができないでい ることもまた事実である。
それは人間がたいてい、金銭や権力、地位や学識の中に喜びを探そうとするからである。それでは真の喜び、永遠な喜びはいかにして得られるであろうか、それは愛(真の愛)の生活を通じてのみ得られるのである。愛の生活とは、他人のために生きる愛他的 な奉仕生活、すなわち他人に温情を施して喜ばせようとする生活をいう。
心情は情的衝動であるここで「情的な衝動」について説明する。情的な衝動とは内部からわきあがる抑えがたい願望または欲望を意味する。普通の願望や欲望は意志で抑えることができるが、情的 な衝動は人間の意志では抑えられないのである。
われわれは喜ぼうとする衝動(欲望)が抑えがたいということを、日常の体験を通じてよ く知っている。人間が金をもうけよう、地位を得よう、学識を広めよう、権力を得ようとする のも喜ぼうとする衝動のためであり、子供たちが何事にも好奇心をもって熱心に学ぼうと するのも喜ぼうとする衝動のためであり、甚だしくは犯罪行為までも、方向が間違ってい るだけで、その動機はやはり喜ぼうとする衝動にあるのである。
そのように喜ぼうとする衝動(欲望)は抑えがたいものである。欲望は達成されてこそ満 たされる。
しかるに大部分の人間にとって、喜ぼうとする欲望が満たされないでいるのは、 喜びは愛を通じてしか得られないということが分かっていないからである。そして喜びが 愛を通じてしか得られないのは、その喜びの根拠が神にあるからである。

神は心情である
神は心情すなわち愛を通じて喜ぼうとする情的な衝動をもっているが、そのような神の 衝動は人間の衝動とは比較にもならないほど抑えがたいものであった。人間は相似の法 則に従って、そのような神の心情を受け継いだので、たとえ堕落して愛を喪失したとして も、喜ぼうとする衝動はそのまま残っている。ゆえに、情的な衝動を抑えることは難しい のである。
ところで神において、喜ぼうとする情的な衝動は、愛そうとする衝動によって支えられて いる。真の喜びは真の愛を通じなければ得られないからである。したがって、愛そうとす る衝動は喜ぼうとする衝動よりも強いのである。愛の衝動は愛さずにはいられない欲望 を意味する。そして愛さずにはいられないということは、愛の対象をもたずにはいられな いことを意味する。
そのような愛の衝動によって喜ぼうとする衝動が触発される。したがって愛の衝動が一 次的なものであり、喜びの衝動は二次的なものである。ゆえに愛は決して喜びのための 手段ではなく、ただ無条件的な衝動なのである。そして愛の必然的な結果が喜びである。 したがって愛と喜びは表裏の関係にあり、喜ぼうとする衝動も実は愛そうとする衝動が表 面化したものにすぎない。
ゆえに神の心情は、「限りなく愛そうとする情的な衝動」であるとも表現することができる。 愛には必ず対象が必要である。特に神の愛は抑えられない衝動であるから、その愛の 対象が絶対的に必要であった。したがって創造は必然的、不可避的であり、決して偶発 的なものではなかった。

宇宙創造と心情
そのように心情が動機となり、神は愛の対象として人間と万物を創造されたのである。 人間は神の直接的な愛の対象として、万物は神の間接的な愛の対象として創造された。 万物が神の間接的な対象であるということは、直接的には万物は人間の愛の対象であ ることを意味する。そして創造の動機から見るとき、人間と万物は神の愛の対象であるが、 結果から見るとき、人間と万物は神の喜びの対象なのである。
このように心情を動機とする宇宙創造の理論(心情動機説)は創造説が正しいか生成 説が正しいかという一つの現実問題を解決することになる。

心情と文化
次に、「心情は神の性相の核心である」という命題から心情と文化の関係について説明 する。神の性相は内的性相と内的形状から成っているが、内的性相は内的形状より内 的である。そして心情は内的性相よりさらに内的である。このような関係は、創造本然の 人間の性相においても同じである。
これは心情が人間の知的活動、情的活動、意的活動の原動力となることを意味する。 すなわち心情は情的な衝動力であり、その衝動力が知的機能、情的機能、意的機能を 絶えず刺激することによって現れる活動がまさに知的活動、情的活動、意的活動なので ある。人間の知的活動によって、哲学、科学をはじめとする様々な学問分野が発達する ようになり、情的活動によって、絵画、音楽、彫刻、建築などの芸術分野が発達するよう になり、意的活動によって、宗教、倫理、道徳、教育などの規範分野が発達するようにな る。
創造本然の人間によって構成される社会においては、知情意の活動の原動力が心情 であり愛であるゆえに、学問も芸術も規範も、すべて心情が動機となり、愛の実現がその 目標となる 。ところで学問分野、芸術分野、規範分野の総和、すなわち人間の知情意 の活動の成果の総和が文化である。したがって創造本然の文化は心情を動機とし、愛の 実現を目標として成立するのであり、そのような文化は永遠に続くようになる。
そのような 文化を統一思想では心情文化、愛の文化、または中和文化と呼ぶ。
しかしながら人間始祖の堕落によって、人類の文化は様々な否定的な側面をもつ非原理的な文化となり、興 亡を繰り返しながら今日に至った。これは人間の性相の核心である心情が利己心によっ て遮られ、心情の衝動力が利己心のための衝動力になってしまったからである。
そのように混乱を重ねる今日の文化を正す道は、利己心を追放し、性相の核心の位置 に心情の衝動力を再び活性化させることによって、すべての文化の領域を心情を動機と して、愛の実現を目標とするように転換させることである。
すなわち心情文化、愛の文化 を創建することである。このことは「心情は神の性相の核心である」という命題が、今日の 危機から文化をいかに救うかというまた一つの現実問題解決の基準になることを意味す るのである。
心情と原力
最後に心情と原力について説明する。宇宙万物はいったん創造されたのちにも、絶え ず神から一定の力を受けている。被造物はこの力を受けて個体間においても力を授受し ている。前者は縦的な力であり、後者は横的な力である。統一思想では前者を原力とい い、後者を万有原力という。
ところでこの原力も、実は原相内の授受作用、すなわち性相と形状の授受作用によっ て形成された新生体である。具体的にいえば、性相内の心情の衝動力と形状内の前エ ネルギーとの授受作用によって形成された新しい力が原力である。その力が、万物に作用して、横的な万有原力として現れ て、万物相互間の授受作用を起こすのである。したがって万有原力は神の原力の延長 なのである。
万有原力が心情の衝動力と前エネルギーによって形成された原力の延長であるという ことは、宇宙内の万物相互間には、物理学的な力のみならず愛の力も作用していること を意味する 。したがって人間が互いに愛し合うのは、そうしても、しなくても良いという ような、恣意的なものではなく、人間ならば誰でも従わなくてはならない天道なのである。
このように「心情と原力の関係」に関する理論も、また一つの現実問題の解決の基準と なることが分かる。すなわち「人間は必ず他人を愛する必要があるのか」、「時によっては 闘争(暴力)が必要な時もあるのではないか」、「敵を愛すべきか、打ち倒すべきか」とい うような現実問題に対する解答がこの理論の中にあることが分かる。

(2) ロゴス
ロゴスとは何か
ロゴスとは、統一原理によれば言または理法を意味する(『原理講論』ヨハネによる福音書には、神の言によって万物が創造されたことが次のように表現されている。 「初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。この言は初めに神と共にあ った。すべてのものは、これによってできた。できたもののうち、一つとしてこれによらない ものはなかった」(ヨハネ 1 ・ 1—3)。
統一思想から見れば、ロゴスを言というとき、それは神の思考、構想、計画を意味し、ロ ゴスを理法というとき、それは理性と法則を意味する。ここで理性とは、本性相内の内的 性相の知的機能に属する理性を意味するのであるが、万物を創造したロゴスの一部で ある理性は、人間の理性とは次元が異なっている。人間の理性は自由性をもった知的能 力であると同時に、概念化の能力または普遍的な真理追求の能力であるが、ロゴス内の 理性は、ただ自由性をもった思考力であり、知的能力なのである。
そしてロゴスのもう一つの側面である法則は、自由性や目的性が排除された純粋な機 械性、必然性だけをもつものである。法則は、時と場所を超越して、いつどこでも、たがわ ずに作用する規則的なものである。すなわち、機械装置である時計の時針や分針が、い つどこでも一定の時を刻むのと同様なものが法則の規則性、機械性なのである。

ロゴスとは理法である
理法とは、このような理性と法則の統一を意味する。ここでは主として、そのような理法 としてのロゴスを扱う。それはそうすることによって、また一つの現実問題の解決の基準 を立てるためである。現実問題とは、今日、社会の大混乱の原因となっている価値観の 崩壊をいかに収拾するかという問題である。
『原理講論』には、ロゴスは神の対象であると同時に二性性相(ロゴスの二性性相)をも っているとされている。これはロゴスが神の二性性相に似た一種の被造物で あり新生体であることを意味するのであって、ロゴスは「性相と形状の合性体」と同様なも のであると理解することができる。
しかし、ロゴスは神の言、構想であって、それによって万物が創造されたのであるから、 ロゴスそれ自体が万物と全く同じ被造物ではありえない。神の二性性相に似た神の対象 であるロゴスは思考の結果物である。すなわち、それは「完成された構想」を意味するも のであり、神の心に描かれた一種の設計図である。われわれが建物を造るとき、まずそ の建物に対する詳細な設計図を作成するように、神が万物を創造されるときにも、まず 万物一つ一つの創造に関する具体的な青写真または計画が作られるようになる。それ がまさにロゴスなのである。
ところで設計図は建築物ではないとしても、それ自体は製作物すなわち結果物であることに違いない。同じように、ロゴスも構想であり設計図である以上、やはり結果物であり、 新生体であり、一種の被造物なのである。被造物はすべて神の二性性相に似ている。そ れでは新生体としてのロゴスは、神のいかなる二性性相に似たのであろうか。それがま さに本性相内の内的性相と内的形状である。
言い換えれば、内的性相と内的形状が一定の目的を中心として統一されている状態が まさにロゴスの二性性相なのである。あたかも神において、本性相と本形状が中和(統 一)をなす状態が神相であるのと同様である。ところでロゴスは言であると同時に理法で もある。それでは、ロゴスを理法として理解するとき、ロゴスの二性性相とは具体的にい かなるものであろうか。それはまさに理性と法則である。理性と法則の関係は内的性相と 内的形状の関係と同じであって、内的性相と内的形状の関係は後述するように主体と対 象の関係であるから、理性と法則の関係は主体と対象の関係になっている。

ロゴスそして自由と放縦
次は、ロゴスと関連して自由と放縦の真の意味を明らかにする。自由と放縦に関する 正しい認識によって、また一つの現実問題が解決されるからである。今日、自由の名の もとになされている様々な秩序破壊行為と、これに伴う社会混乱に対する効果的な対策 は何かということが問題になっているが、この問題を解くためには、まず自由と放縦の真の意味が明らかにされなければならない。
『原理講論』には「原理を離れた自由はない」、「責任のない自由はあり得な い」、「実績のない自由はない」と書かれている。これを言い換えれば、 自由の条件は「原理内にあること」、「責任を負うこと」、「実績をあげること」の三つになる。
ここで「原理を離れる」というのは、「原則すなわち法則を離れる」という意味であり、「責 任を負う」とは、自身の責任分担の完遂を意味すると同時に、創造目的の完成を意味するのであり、「実績をあげる」とは、創造目的を完成し、善の結果をもたらすことを意味す るのである。ところで責任分担の完遂や、創造目的の完成や、善の結果をもた らすことは、すべて広い意味の原理的な行為であり、天道に従うことであり、法則(規範) に従うことなのである。
したがって自由に関する三つの要件、すなわち「原理内にあること」、「責任を負うこと」、 「実績をあげること」は、一言で「自由とは原理内での自由である」と表現することができ るのであり、結局、真の自由は法則性、必然性との統一においてのみ成立するという結 論になる。ここで法則とは、自然においては自然法則であり、人間生活においては価値 法則(規範)である。価値とか規範は秩序のもとにおいてのみ成立する。それゆえ規範を 無視するとか、秩序を破壊する行為は、本然の世界では決して自由ではないのである。
自由とは、厳密な意味では選択の自由であるが、その選択は理性によってなされる。し たがって、自由は理性から出発して実践に移るのである。そのとき、自由を実践しようと する心が生まれるが、それが自由意志であり、その意志によって自由が実践されれば、 その実践行為が自由行動になる。これが『原理講論』にある自由意志、自由行 動の概念の内容である。
かくして理性の自由による選択や、自由意志や、自由行動はみな恣意的なものであっ てはならず、必ず原理内で、すなわち法則(価値法則)の枠の中で、必然性との統一のも とでなされなければならない。そのように自由は理性の自由であり、理性は法則との統 一のもとでのみ作用するようになっている。したがって本然の自由は理法すなわちロゴス の中でのみ成立することができ、ロゴスを離れては存立することはできない。よく法則は 自由を拘束するもののように考えられているが、それは法則と自由の原理的な意味を知 らないことからくる錯覚なのである。
ところで、本然の法則や自由はみな愛の実現のためのものである。すなわち愛の中で の法則であり自由である。真の愛は生命と喜びの源泉である。したがって本然の世界で は、喜びの中で、法則に従いながら自由に行動するのである。それは、ロゴスが心情を 土台として形成されるからである。
ロゴスを離れた恣意的な思考や恣意的な行動は似非自由であり、それはまさに放縦で ある。自由と放縦はその意味が全く異なる。自由は善の結果をもたらす建設的な概念で あるが、放縦は悪の結果をもたらす破壊的な概念である。そのように自由と放縦は厳密 に区別されるものであるが、よく混同されたり、錯覚されている。それは自由の真の根拠 であるロゴスに関する理解がないからである。ロゴスの意味を正しく理解すれば、自由の 真の意味を知るようになり、したがって自由の名のもとでのあらゆる放縦が避けられ、ついには社会混乱の収拾も可能になるであろう。このようにロゴスに関する理論も、現実問 題解決のまた一つの基準になるのである。

(3) 創造性
創造性とは何か
創造性は一般的に「新しいものを作る性質」と定義されている。統一原理において、創 造性を一般的な意味にも解釈しているが、それよりは「創造の能力」として理解している。 それは『原理講論』において「神の創造の能力」と「神の創造性」を同じ意味で使っている のを見ても知ることができる(79 頁)。
ところで、神の創造性をそのように創造の性質とか創造の能力として理解するだけでは 正確な理解となりえない。すでに明らかにしたように、神の属性を理解する目的は現実問 題を根本的に解決することにある。したがって、神に関するすべての理解は正確で具体的でなくてはならない。創造性に関しても同じである。したがって創造に関する常識的な 理解だけでは神の創造性を正確に把握するのは困難である。ここに神の創造の特性、 または要件が明らかにされる必要があるのである。
神の創造は偶発的なものではなく、自然発生的なものではさらにない。それは抑えることのできない必然的な動機によってなされたのであり、明白な合目的的な意図によってなされたのであった。そのような創造がいわゆる「心情を動機とした創造」(心情動機説) である。創造には、創造目的を中心とした内的および外的な四位基台または授受作用が 必ず形成されなければならない。したがって、神の創造性は具体的には「目的を中心とし た内的および外的な四位基台形成の能力」と定義される。これを人間の、新しい製品を つくるという創造に例えて説明すれば、内的四位基台形成は、構想すること、新しいアイ デアを開発すること、したがって青写真の作成を意味し、外的四位基台形成は、その青 写真に従って人間(主体)が機械と原料(対象)を適切に用いて新製品(新生体)を造るこ とを意味するのである。
神において、内的四位基台の形成は、目的を中心とするロゴスの形成であり、外的四 位基台形成は、目的を中心として性相と形状が授受作用をして万物を造ることである。したがって神の創造性はそのような内的および外的四位基台形成の能力であり、言い換えれば「ロゴスの形成に続いて万物を形成する能力」である。神の創造性の概念をこのように詳細に扱うのは、創造に関連したいろいろな現実的な問題(例えば公害問題、軍 備制限ないし撤廃問題、科学と芸術の方向性の問題など)の根本的解決の基準を定立するためである。

人間の創造性
次は、人間の創造性に関して説明する。人間にも新しい物を作る能力すなわち創造性 がある。これは相似の法則に従って、神の創造性が人間に与えられたものである。ところで人間は元来、相似の法則によって造られたので、人間の創造性は神の創造性に完全に似るように、すなわち神の創造性を引き継ぐようになっていた(『原理講論』 79、114、 259 頁)。しかし、堕落によって人間の創造性は神の創造性に不完全に似るようになったのである。
人間の創造性が神の創造性に似るということは、神が創造性を人間に賦与することを 意味する(同上、 131、259 頁)。それでは、神はなぜ人間に創造性を賦与しようとされたのであろうか。それは人間を「万物世界に対する主管位に立たせて」(同上、132 頁)、「万物を主管し得る資格を得させるため」(同上、114、131 頁)であった。ここで万物主管とは、 万物を貴く思いながら、万物を願うように扱うことをいう。つまり人間が愛の心をもって、 いろいろな事物を扱うことを万物主管というが、そこには人間生活のほとんどすべての領 域が含まれる。例えば経済、産業、科学、芸術などがすべて万物主管の概念に含まれる。 地上の人間は肉身をもって生きるために、ほとんどすべての生活領域において物質を扱 っている。したがって人間生活全体が万物主管の生活であるといっても過言ではないのである。
ところで本然の万物主管は、神の創造性を受け継がなくては不可能である。本然の主管とは、愛をもって創意的に事物を扱いながら行う行為、例えば耕作、製作、生産、改造、 建設、発明、保管、運送、貯蔵、芸術創作などの行為をいう。そのような経済、産業、科 学、芸術などの活動だけでなく、ひいては宗教生活、政治生活までも、それが愛をもって 物を扱う限りにおいて、本然の万物主管に含まれる。そのように本然の人間においては、 事物を扱うのに、愛とともに新しい創案(構想)が絶えず要求されるために、本然の主管のためには神の創造性が必要になるのである。
人間は堕落しなかったならば、そのような神の創造性に完全に似ることができ、したがって本然の万物主管が可能となったことであろう。ところが人間始祖の堕落によって、人 間は本然の姿を失ってしまった。したがって、人間が引き継いだ創造性は不完全なものになり、万物主管も不完全な非原理的なものになってしまった。
ここに次のような疑問が生ずるかもしれない。すなわち「神が相似の法則によって人間を創造したとすれば、人間は生まれる時から本然の創造性をもっていたであろうし、した がって堕落とは関係なく、その創造性は持続されたのではないか。実際、今日、科学技術者たちは立派な創造の能力を発揮しているではないか」という疑問である。

相似の創造
ここで、相似の創造が時空の世界では具体的にどのように現れるかを説明する。神の創造とは、要するに被造物である一つ一つの万物が時空の世界に出現することを意味する。したがって神の構想の段階では、創造が超時間、超空間的になされたとしても、被造物が時空の世界に出現するに際しては、小さな、未熟な、幼い段階から出発して、一 定の時間的経路を経ながら一定の大きさまで成長しなければならない。そして一定の大きさの段階にまで完成したのちに、神の構想または属性に完全に似るようになるのである。その時までの期間は未完成段階であり、神の姿に似ていく過程的期間であって、統 一原理はこの期間のことを成長期間といい、蘇生期、長成期、完成期の三段階(秩序的 三段階)に区分している(『原理講論』、77 頁)。
人間はこのような成長過程において、長成期の完成級の段階で堕落したのであった (同上、78 頁)。したがって神の創造性を受け継ぐに際しても、本然の創造性の三分の二 程度だけを受け継いだのであり、科学者たちがいくら天才的な創造力を発揮するといっても、本来神が人間に賦与しようとした創造性に比較すれば、はるかに及ばないといわ ざるをえない。
ところで、被造物の中で堕落したのは人間だけである。万物は堕落しないでみな完成し、 それぞれの次元において神の属性に似ているのである。ここで次のような疑問が生ずる であろう。すなわち万物の霊長であるといわれる人間が、なぜ霊長らしくなく堕落したのかという疑問である。それは、万物が原理自体の主管性または自律性だけで成長するようになっているのに対して、人間には、成長において、原理の自律性、主管性のほかに責任分担が要求されたからである。

創造性と責任分担
ここで原理自体の自律性とは有機体の生命力をいい、主管性とは生命力の環境に対する影響力をいう。例えば一本の木が成長するのは、その内部の生命力のためであり、 主管性はその木の生命力が周囲に及ぼす影響をいうのである。人間の成長の場合にも、 この原理自体の自律性と主管性が作用する。しかし人間においては、肉身だけが自律性と主管性によって成長するのであり、霊人体はそうではない。霊人体の成長には別の 次元の条件が要求される。それが責任分担を完遂することである。
ここで明らかにしたいことは、霊人体の成長とは、肉身の場合のように霊人体の身長が 大きくなることを意味するのではない。霊人体は肉身に密着しているので、肉身の成長に従って自動的に大きくなるようになってはいるが、ここでいう霊人体の成長とは、霊人体の霊性の成熟のことであり、それは人格の向上、心情基準の向上を意味する。要するに、 神の愛を実践しうる心の姿勢の成長が、霊人体の成長なのである。
このような霊人体の成長は、ただ責任分担を完遂することによってのみなされる。ここ で責任分担の完遂とは、神に対する信仰を堅持し、戒めを固く守る中で、誰の助けも受けないで、内的外的に加えられる数多くの試練を自らの判断と決心で克服しながら、愛 の実践を継続することをいう。
神も干渉することができず、父母もいない状況で、そのような責任分担を果たすということは大変難しいことであったが、アダムとエバはそのような責任をすべて果たさなければ ならなかった。しかしアダムとエバはそのような責任分担を果たすことができず、結局、サ タンの誘惑に陥って堕落してしまった。それでは神はなぜ失敗しうるような責任分担をア ダムとエバに負わせたのであろうか。万物のように、たやすく成長しうるようにすることも できたのではないであろうか。
それは人間に万物に対する主管の資格を与えるためであり、人間を万物の主管主に するためであった(創世記 1 ・28、『原理講論』、131 頁)。主管とは、自分の所有物や自分が創造したものだけを主管するのが原則であり、他人の所有物や他人の創造物は主管しえないようになっている。ことに人間は万物よりあとに創造されたのであるから、万物の 所有者にも創造者にもなりえないはずである。しかし神は、人間を神の子として造られたために、人間に御自身の創造主の資格を譲り与え、主管主として立てようとされたのである。そのために人間が一定の条件を立てるようにせしめて、それによって人間も神の宇 宙創造に同参したものと認めようとされたのである。
人間の完成と責任分担
その条件とは、アダムとエバが自己を完成させることである。すなわちアダムとエバが 誰の助けも受けないで自己を完成させれば、神はアダムとエバが宇宙を創造したのと同 様な資格をもつものと見なそうとされたのであった。なぜならば、価値から見るとき、人間 一人の価値は宇宙全体の価値と同じだからである。すなわち人間は宇宙(天宙)を総合した実体相であり(『原理講論』 、61、84 頁)、小宇宙(同上、 84 頁)であり、また人間が完成することによって初めて宇宙創造も完成するからである。イエスが「たとい人が全世界をもうけても、自分の命を損したら、なんの得になろうか。また、人はどんな代価を払って、 その命を買いもどすことができようか」(マタイ 16 ・26)と言われたのも、そのような立場か らである。したがってアダムとエバが自ら自身を完成させれば、価値的に見て、アダムと エバは宇宙を創造したのと同等な立場に立つことになるのである。
創造は、創造者自身の責任のもとでなされる。神が宇宙を創造されるのに神自身の責 任のもとでなされた。そしてアダムとエバが自身を完成させることは、創造主たるべきア ダムとエバ自身の責任なのであった。そのような理由のために、神はアダムとエバに責 任分担を負わせたのである。
しかし神は愛の神であるゆえに、 100 パーセントの責任をアダムとエバに負わせたのではなかった。人間の成長の大部分の責任は神が負い、アダムとエバには 5パーセンと と いう非常に小さな責任を負わせて、その 5パーセントの責任分担を果たしさえすれば、彼 らが 100 パーセントの責任全体を果たしたものと見なそうとされたのであった。そのような 神の大きな恵みにもかかわらず、アダムとエバは責任分担を果たすことができずに堕落 してしまった。そのために結局、神の創造性を完全に受け継ぐことができなくなったので ある。
万一、人間が堕落しなかったならば、いかなる結果になったであろうか。人間が堕落し ないで完成したならば、まず神の心情、すなわち愛を通じて喜びを得ようとする情的な衝 動をそのまま受け継いで、神が愛の神であるように人間は愛の人間になったであろう。そ して心情を中心とした神の創造性を完全に受け継ぐようになったであろう。
これはすべての主管活動が、心情を土台とし、愛を中心とした活動になることを意味す る。すでに述べたように、政治、経済、産業、科学、芸術、宗教などは、物質を扱う限りに おいて、すべて主管活動であるが、そのような活動が神から受け継いだ創造性(完全な 創造性)に基づいた愛の主管活動に変わるようになるのである。

本然の創造性と文化活動
心情の衝動力を動機とする知情意の活動の成果の総和を文化(心情文化)というが、 その知情意の活動がみな物質を扱うという点において共通であるために、文化活動は結 局、創造性による主管活動であると見ることができる。
ところで今日の世界を見るとき、世界の文化は急速に没落しつつある。政治、経済、社 会、科学、芸術、教育、言論、倫理、道徳、宗教など、すべての分野において方向感覚を 喪失したまま、混乱の渦の中に陥っているのである。ここで何らかの画期的な方案が立 てられない限り、この没落していく文化を救出することはほとんど絶望的であると言わざ るをえない。
長い間、鉄のカーテンに閉ざされたまま強力な基盤を維持してきた共産主義独裁体制 が、資本主義体制との対決において、開放を契機として崩れ始め、今日、資本主義方式 の導入を急いでいる現実を見つめて、ある者は資本主義の経済体制と科学技術の優越 性を誇るかもしれない。しかしそれは近視眼的な錯誤である。なぜなら資本主義経済の 構造的矛盾による労使紛争、貧富の格差の増大とそれに伴う価値観の崩壊現象、社会 的犯罪の氾濫、そして科学技術の尖端化に伴う犯罪技術の尖端化、産業の発達に伴う 公害の増大などは、資本主義の固疾的な病 弊であって、それらは遠からず、必ずや資 本主義を衰退させる要因となることを知らないでいるからである。
万物主管という観点から見るとき、今日の文化的危機の根本原因は、遠く人類歴史の 始めまでさかのぼって探さなければならない。それは人間始祖の堕落によって人間が神 の創造性だけでなく神の心情と愛を完全に受け継ぐことができなかったことによって、自 己中心的な存在となり、利己主義が広がるようになったことにあるのである。
したがって今日の文化を危機から救う唯一の道は、自己中心主義、利己主義を清算し、 すべての創造活動、主管活動を神の愛を中心として展開することである。すなわち世界 の各界各層のすべての指導者たちが神の愛を中心として活動するようになるとき、今日 の政治、経済、社会、教育、科学、宗教、思想、芸術、言論など、様々な文化領域の交錯 した難問題が、根本的にそして統一的に解決され、ここに新しい真の平和な文化が花咲 くようになるであろう。それは共産主義文化でもなく、資本主義文化でもない新しい形態 の文化であり、それがまさに心情文化、愛の文化であり、中和文化なのである。このよう に神の創造性に関する理論もまた現実問題解決の基準となっていることを知ることがで きるであろう。

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2014年7月12日土曜日

「浄化精誠と神の遍在性」をテーマに、私なりに考えました。

浄化精誠と神の遍在性ですが、浄化精誠の内容は、動画を見て学びました。(このブログの内容は、私個人の考えです。)
最後に、浄化精誠の動画のあるブログで、浄化精誠の内容を確認してください。
ブログ訪問ありがとうございます。
皆さんに感謝します。
浄化精誠で、ポイントが幾つかあります。

全てで、自分が原因であると考える。
自分が変わらないといけないと考える。

私の中に、神様がいる。
結婚していれば、奥さん、旦那さんの中にも、神様がいる。
そして、お父さん、お母さんの中にも、神様がいる。
全ての人の中に、神様がいる。
そのことを知っていましたか?
私の中に、神様がいることを知らなかった。

知らなかったことを、神様に謝りましょう。
神様、すいませんでした。
結婚していれば、奥さん、旦那さんにすいませんでした。
許してください。
愛しています。
ありがとうございます。
と言う。(心から思う。)
実践することで、人が変わる。

ごめんなさい。
許してください。
愛しています。
ありがとうございます。
この四つの言葉は、ホ・オポノポノで使われている言葉です。
(ホ・オポノポノを私は、詳しく説明出来ないので、皆さんで、調べてください。)

私の中に、神様がいることを意識していましたか?
私の中に、神様がいます。
それを、原理講論には、神の遍在性として書いてあります。
「創造目的を完成した世界においては、神の本性相と本形状の実体となっているすべての個性体は、みな、このように球形運動を起こし、神が運行できる根本的な基台を造成するようになっている。このようにして、神は一切の被造物の中に遍在されるようになるのである。」
堕落した人間ではありますが、「神は一切の被造物の中に遍在されるようになるのである。」
私の中にも、神様がいる。
それが、感じられない、または、少ししか感じられないのは、私の責任ですよね。
浄化精誠をとうして、自分が浄化することにより、今まで以上に、神様を感じることができます。
祈りや瞑想をすることも良いと思います。
神様に感謝します。
これが、私の考えです。

あなたはどう思いますか?
自分に、問いかけてみては!
自分自身が、一番見えない。
他人のことは、よく見える。
私のことをよく見える皆さんのコメント待ってます。

皆さんに感謝します。
ありがとうございます。
神様と真の父母様に感謝します。
ありがとうございます。
感謝します。

浄化精誠の内容の動画が見ることができます。

신종메시아리더스쿨 강의 정화정성편 新氏族メシアリ-ダ-スク-ル講義 浄化精誠編 

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2014年7月11日金曜日

私が変わる。私の中に、天国 (天一国)を!

私が変わらなければ、世界は、変わらない!
私の中に、天国(天一国)を創らなければ、世界は、変わらない!
私の中に、天国(天一国)を創らなければ、世界・天宙が、天国(天一国)に変わらない!

私の中に、天国(天一国)を創り、夫婦が、神様を中心に一つになる。
為に生きる、感謝の生活!
真の夫婦になる。
神様を中心に一つになる夫婦が真の夫婦です。
真の夫婦の姿が、目に見えない神様の姿です。(神様の実体、個性真理体)
だから、浮気や不倫は、ダメです。
同性愛・同性婚もダメです。
霊界、天国(天一国)で、生活する為に、地上で、真の夫婦、真の家庭を完成させて、神様と共に天国(天一国)で、生活しましょう。

神様に感謝します。
神様と真の父母様に感謝します。

2014年7月9日水曜日

瞑想をとうして、神様を感じて欲しいです。 神様に感謝しましょう。 全てに、個人差はありますので、神様を感じるのも、個人差はあります。 意識をすることが大切です。

あなたも、瞑想をしませんか?
良心瞑想・神霊瞑想をしましょう。
瞑想をとうして、神様を感じて欲しいです。
神様に感謝しましょう。
全てに、個人差はありますので、神様を感じるのも、個人差はあります。
意識をすることが大切です。
(何故!、神様を意識するか?)
神様は、全ての創造主です。
本来、神様と関係ない存在(悪の主体・悪魔・サタン)は、存在していませんでした。
神様は、善の主体です。
本来の人間は、神様だけ、善の考え、善の行動、善を中心とした私でなければならない私でした。
でも、私を考えたとき、どうでしょう?
あなたは、どうですか?
善だけ、悪の要素がない、偽りがない私ですか?
悪の要素は、不平不満、怨み、恨み、嫉妬、…。いろいろあります。
(悪の要素が、私の身体の中で、病気になります。病気の第一原因です。)
悪と悪の要素を取り除くことが大切です。
その為には、神様を知り、善なる私!になる。
(真なる私に変わることが大切です。)
善なる私、真なる私は、どんな私か?
それは、神の子になると言うことです。
勿論、瞑想だけでは、変わらないと考えるでしょう。
それは、正しい考えです。
私は、瞑想をとうして、文鮮明先生の教えやみ言を実践することで、神の子になると信じています。
病気も治ります。
地上生活から、霊界へ(次の世界へ)人間は、行きます。
その時、天国(天一国)に行く人は、神の子です。
神の子は、神様が、認めた子供です。
神様に認められる私に変わりましょう!
変われます。
時間はかかるかもしれませんが、
(ここでの時間は、人間には、個人差と成長期間が有ると言う意味です。)
意識することで心が変わります。
神様を意識します。
私と共に神様がいることをイメージします。
神様と共に生きることを意識します。いつも一緒です。
神様に感謝しましょう。
良心瞑想・神霊瞑想は、神様と共に神様を意識する瞑想です。

内性 (心) は目に見ることはできないが、必ずある種のかたちをもっているから、それに似て、 外形 (私) も目に見える何らかのかたちとして現れているのである。『原理講論より』
心が変われば、私が変わる。
心が変われば、環境が変わると言えます。
全ては、私から変わる!
(全て、神様を中心に、私から変わる。)
私の言葉は、信じなくていいんです。
(文鮮明先生のみ言を信じてください。)
皆さんが、実践、瞑想をとうして、実感してもらえればいいんです。
神様を中心に神様と一つに、神様と共に生活してもらえればそれでいいです。
全てを神様に感謝します。
ありがとうございます。

感謝します。

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2014年7月8日火曜日

良心瞑想・神霊瞑想をしましょう。 この瞑想をとうして、感じて欲しいことは、神様と私(自分自身)は、一つになるんだ! 神様と一つになれるんだ! この思いを強く深く大きくしましょう。

良心瞑想・神霊瞑想をしましょう。
この瞑想をとうして、感じて欲しいことは、神様と私(自分自身)は、一つになるんだ!
神様と一つになれるんだ!
この思いを強く深く大きくしましょう。

自分を変えたい!
良くなりたい!
健康で元気でいたい!
変わります。

自分を変えるのは、自分です。
自分の中に、神様がいます。
神様がいるんです。
知っていましたか?
知らなかったら、反省しましょう。
「神様が自分の中に住んでいることを知らなくてごめんなさい。」「私と共に生きていてくれてありがとうございます。感謝します。」
皆さんが、心で、神様にいろいろ話したり、神様の話しを聞いてください。…
………  。
神様に感謝します。

1、神様が私の中に住んでいる。(神様は、無形ですから、あなたの隣にいる人にも、全ての人の中に住んでいます。)
だから、感謝しましょう。
2、神様と共に生きている、私が変わる。

私達人間の心の中心が神様です。
そのことを強くイメージしましょう!
神様を中心に神様と心が、一つになります。
この時に、考えることは、神様と私だけです。
神様と私、神様と私の心だけを考えてください。

深く、広く、無限の神様と一つになるんだ!
イメージしましょう。
私が変わる!
全て、ここから変わることをイメージしましょう。

感謝しましょう。
ありがとうございます。
皆さんも、イメージしましょう。…

神様と真の父母様に感謝します。
「神様の真の愛を相続しょう!」感謝
繰り返し瞑想・イメージすることが大切です。

ありがとうございます。
神様の恵みがありますように祈ります。
神様と真の父母様の役事がありますように!

天の祝福がありますように!
感謝します。

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2014年7月7日月曜日

真の愛をもてば、できないことがなく、成就されないことがありません。

天聖経のみ言!
真の愛、真の愛の力より
皆さんが創造の偉業を相続すれば、真の愛の権現をもつのです、創造の偉業を相続することによって、すべてのものよりも強い真の愛を相続できるのです。真の愛をもてば、できないことがなく、成就されないことがありません。怨讐も愛することができるのです。真の愛の力は、闘いや強制でなく、自然屈服させるのです。ですから、これ以上に強力な力はないというのです。

2014年7月5日土曜日

あなたの考え方は、あなたの考えです、私の考えではありません。 私達は、自己判断、自己責任です。 自分が正しいと思うことは、チャレンジしましょう。

神様の真の愛を相続しょう!
神様に感謝します。
統一思想には、「霊人体の成長とは、ただ責任分担を完遂することによってのみなされる。」
「ここ で責任分担の完遂とは、神に対する信仰を堅持し、戒めを固く守る中で、誰の助けも受けないで、内的外的に加えられる数多くの試練を自らの判断と決心で克服しながら、愛 の実践を継続することをいう。」
とあります。
個人的な考えとして、アベルからのみ言に対して、言われた事をするのは、アベルとの約束で、人間の責任分担を果たすことではないと考えます。
(アベルのみ言プラス…!が必要と感じます。)
約束は、守るべきですが、責任分担を果たした事にはならないと考えます。(約束は、責任分担の一部かもしれませんが、全てではないと考えます。)
「ここ で責任分担の完遂とは、神に対する信仰を堅持し、戒めを固く守る中で、誰の助けも受けないで、内的外的に加えられる数多くの試練を自らの判断と決心で克服しながら、愛 の実践を継続することをいう。」
( 誰の助けも受けないで、自らの判断と決心で克服しながら、愛 の実践を継続することをいう。)
アベルのみ言は、大切です、そのなかで、自分自身が、判断してください。

特に、今は、天一国時代です。
天一国主人が、あなたなら、アベルは、あなたです。
組織上のアベルは、…。外的組織が、重要でなく、心情組織が、重要だと…。

これを読んで、アベル批判と感じる方もいると思います。

それはそれで、良いと思います。
それは、あなたの考え方ですから、私の考えではありません。
私達は、自己判断、自己責任です。
自分が正しいと思うことは、チャレンジしましょう。
心情が、中心です。
心情文化世界を目指して!チャレンジしましょう。

天地人真の父母様は、真の父母・真の師・真の主人!
真の父母様に感謝します。
神様に感謝します。

間違いにきずいたら、すぐに、神様に祈り、反省して改めるべきです。
私は、そのように考え、発言しています。
嘘を言っているわけではありません。
お父様は、間違いは、許す。
嘘は、いけない。と言ってました。
直接聞いた内容です。
(原理本体論教育の時です。)
ここまでが、私の考えです。
自分の書いた内容を、読み返してみると、自分の考えの押し売りのように感じました。(すいません)
今回は、そのまま載せます。

最初は、統一思想、原相論
神 性で、私が、イイね!と感じた内容です。
・主管とは、自分の所有物や自分 が創造したものだけを主管するのが原則であり、他人の所有物や他人の創造物は主管 しえないようになっている。ことに人間は万物よりあとに創造されたのであるから、万物の 所有者にも創造者にもなりえないはずである。
・神は、人間を神の子として造られた ために、人間に御自身の創造主の資格を譲り与え、主管主として立てようとされたのであ る。そのために人間が一定の条件を立てるようにせしめて、それによって人間も神の宇 宙創造に同参したものと認めようとされたのである。

人間が完 成することによって初めて宇宙創造も完成するからである。

・創造は、創造者自身の責任のもとでなされる。神が宇宙を創造されるのに神自身の責 任のもとでなされた。
そしてアダムとエバが自身を完成させることは、創造主たるべきア ダムとエバ自身の責任なのであった。そのような理由のために、神はアダムとエバに責 任分担を負わせたのである。

・人間が堕落し ないで完成したならば、まず神の心情、すなわち愛を通じて喜びを得ようとする情的な衝 動をそのまま受け継いで、神が愛の神であるように人間は愛の人間になったであろう。そ して心情を中心とした神の創造性を完全に受け継ぐようになったであろう。

これはすべての主管活動が、心情を土台とし、愛を中心とした活動になることを意味す る。

統一思想、原相論
神 性より

霊人体の成長とは、肉身の場合のように霊人体の身長が 大きくなることを意味するのではない。霊人体は肉身に密着しているので、肉身の成長に従って自動的に大きくなるようになってはいるが、ここでいう霊人体の成長とは、霊人体の霊性の成熟のことであり、それは人格の向上、心情基準の向上を意味する。要するに、 神の愛を実践しうる心の姿勢の成長が、霊人体の成長なのである。
このような霊人体の成長は、ただ責任分担を完遂することによってのみなされる。ここ で責任分担の完遂とは、神に対する信仰を堅持し、戒めを固く守る中で、誰の助けも受けないで、内的外的に加えられる数多くの試練を自らの判断と決心で克服しながら、愛 の実践を継続することをいう。
神も干渉することができず、父母もいない状況で、そのような責任分担を果たすということは大変難しいことであったが、アダムとエバはそのような責任をすべて果たさなければ ならなかった。

しかしアダムとエバはそのような責任分担を果たすことができず、結局、サ タンの誘惑に陥って堕落してしまった。それでは神はなぜ失敗しうるような責任分担をア ダムとエバに負わせたのであろうか。万物のように、たやすく成長しうるようにすることも できたのではないであろうか。

それは人間に万物に対する主管の資格を与えるためであり、人間を万物の主管主に するためであった(創世記 1 ・28、『原理講論』、131 頁)。
主管とは、自分の所有物や自分 が創造したものだけを主管するのが原則であり、他人の所有物や他人の創造物は主管 しえないようになっている。ことに人間は万物よりあとに創造されたのであるから、万物の 所有者にも創造者にもなりえないはずである。

しかし神は、人間を神の子として造られた ために、人間に御自身の創造主の資格を譲り与え、主管主として立てようとされたのであ る。そのために人間が一定の条件を立てるようにせしめて、それによって人間も神の宇 宙創造に同参したものと認めようとされたのである。

人間の完成と責任分担
その条件とは、アダムとエバが自己を完成させることである。すなわちアダムとエバが 誰の助けも受けないで自己を完成させれば、神はアダムとエバが宇宙を創造したのと同 様な資格をもつものと見なそうとされたのであった。なぜならば、価値から見るとき、人間 一人の価値は宇宙全体の価値と同じだからである。すなわち人間は宇宙(天宙)を総合 した実体相であり(『原理講論』 、61、84 頁)、小宇宙(同上、 84 頁)であり、また人間が完 成することによって初めて宇宙創造も完成するからである。

イエスが「たとい人が全世界 をもうけても、自分の命を損したら、なんの得になろうか。また、人はどんな代価を払って、 その命を買いもどすことができようか」(マタイ 16 ・26)と言われたのも、そのような立場か らである。したがってアダムとエバが自ら自身を完成させれば、価値的に見て、アダムと エバは宇宙を創造したのと同等な立場に立つことになるのである。
創造は、創造者自身の責任のもとでなされる。神が宇宙を創造されるのに神自身の責 任のもとでなされた。
そしてアダムとエバが自身を完成させることは、創造主たるべきア ダムとエバ自身の責任なのであった。そのような理由のために、神はアダムとエバに責 任分担を負わせたのである。

しかし神は愛の神であるゆえに、 100 パーセントの責任をアダムとエバに負わせたのではなかった。人間の成長の大部分の責任は神が負い、アダムとエバには 5パーセンと と いう非常に小さな責任を負わせて、その 5パーセントの責任分担を果たしさえすれば、彼 らが 100 パーセントの責任全体を果たしたものと見なそうとされたのであった。
そのような 神の大きな恵みにもかかわらず、アダムとエバは責任分担を果たすことができずに堕落 してしまった。そのために結局、神の創造性を完全に受け継ぐことができなくなったので ある。
万一、人間が堕落しなかったならば、いかなる結果になったであろうか。人間が堕落し ないで完成したならば、まず神の心情、すなわち愛を通じて喜びを得ようとする情的な衝 動をそのまま受け継いで、神が愛の神であるように人間は愛の人間になったであろう。そ して心情を中心とした神の創造性を完全に受け継ぐようになったであろう。

これはすべての主管活動が、心情を土台とし、愛を中心とした活動になることを意味す る。
すでに述べたように、政治、経済、産業、科学、芸術、宗教などは、物質を扱う限りに おいて、すべて主管活動であるが、そのような活動が神から受け継いだ創造性(完全な 創造性)に基づいた愛の主管活動に変わるようになるのである。

感謝します。
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ありがとうございます。
\(^o^)/ファイト!
あなたに、神様の恵みがありますように祈ります。

2014年7月4日金曜日

霊人体の成長とは、霊人体の霊性の成熟のことであり、それは人格の向上、心情基準の向上を意味する。要するに、 神の愛を実践しうる心の姿勢の成長が、霊人体の成長なのである。

「神様の真の愛を相続しょう!」
神様に感謝します。
統一思想、原相論
神 性より
創造性と責任分担
ここで原理自体の自律性とは有機体の生命力をいい、主管性とは生命力の環境に対する影響力をいう。例えば一本の木が成長するのは、その内部の生命力のためであり、 主管性はその木の生命力が周囲に及ぼす影響をいうのである。人間の成長の場合にも、 この原理自体の自律性と主管性が作用する。しかし人間においては、肉身だけが自律性と主管性によって成長するのであり、霊人体はそうではない。霊人体の成長には別の 次元の条件が要求される。それが責任分担を完遂することである。
ここで明らかにしたいことは、霊人体の成長とは、肉身の場合のように霊人体の身長が 大きくなることを意味するのではない。霊人体は肉身に密着しているので、肉身の成長に従って自動的に大きくなるようになってはいるが、ここでいう霊人体の成長とは、霊人体の霊性の成熟のことであり、それは人格の向上、心情基準の向上を意味する。要するに、 神の愛を実践しうる心の姿勢の成長が、霊人体の成長なのである。
このような霊人体の成長は、ただ責任分担を完遂することによってのみなされる。ここ で責任分担の完遂とは、神に対する信仰を堅持し、戒めを固く守る中で、誰の助けも受けないで、内的外的に加えられる数多くの試練を自らの判断と決心で克服しながら、愛 の実践を継続することをいう。

神も干渉することができず、父母もいない状況で、そのような責任分担を果たすということは大変難しいことであったが、アダムとエバはそのような責任をすべて果たさなければ ならなかった。
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神様に感謝します。
時間のある方は、続きを読んで下さった。

しかしアダムとエバはそのような責任分担を果たすことができず、結局、サ タンの誘惑に陥って堕落してしまった。それでは神はなぜ失敗しうるような責任分担をア ダムとエバに負わせたのであろうか。万物のように、たやすく成長しうるようにすることも できたのではないであろうか。
それは人間に万物に対する主管の資格を与えるためであり、人間を万物の主管主に するためであった(創世記 1 ・28、『原理講論』、131 頁)。主管とは、自分の所有物や自分 が創造したものだけを主管するのが原則であり、他人の所有物や他人の創造物は主管 しえないようになっている。ことに人間は万物よりあとに創造されたのであるから、万物の 所有者にも創造者にもなりえないはずである。しかし神は、人間を神の子として造られた ために、人間に御自身の創造主の資格を譲り与え、主管主として立てようとされたのであ る。そのために人間が一定の条件を立てるようにせしめて、それによって人間も神の宇 宙創造に同参したものと認めようとされたのである。
人間の完成と責任分担
その条件とは、アダムとエバが自己を完成させることである。すなわちアダムとエバが 誰の助けも受けないで自己を完成させれば、神はアダムとエバが宇宙を創造したのと同 様な資格をもつものと見なそうとされたのであった。なぜならば、価値から見るとき、人間 一人の価値は宇宙全体の価値と同じだからである。すなわち人間は宇宙(天宙)を総合 した実体相であり(『原理講論』 、61、84 頁)、小宇宙(同上、 84 頁)であり、また人間が完 成することによって初めて宇宙創造も完成するからである。イエスが「たとい人が全世界 をもうけても、自分の命を損したら、なんの得になろうか。また、人はどんな代価を払って、 その命を買いもどすことができようか」(マタイ 16 ・26)と言われたのも、そのような立場か らである。したがってアダムとエバが自ら自身を完成させれば、価値的に見て、アダムと エバは宇宙を創造したのと同等な立場に立つことになるのである。
創造は、創造者自身の責任のもとでなされる。神が宇宙を創造されるのに神自身の責 任のもとでなされた。そしてアダムとエバが自身を完成させることは、創造主たるべきア ダムとエバ自身の責任なのであった。そのような理由のために、神はアダムとエバに責 任分担を負わせたのである。
しかし神は愛の神であるゆえに、 100 パーセントの責任をアダムとエバに負わせたのではなかった。人間の成長の大部分の責任は神が負い、アダムとエバには 5パーセンと と いう非常に小さな責任を負わせて、その 5パーセントの責任分担を果たしさえすれば、彼 らが 100 パーセントの責任全体を果たしたものと見なそうとされたのであった。そのような 神の大きな恵みにもかかわらず、アダムとエバは責任分担を果たすことができずに堕落 してしまった。そのために結局、神の創造性を完全に受け継ぐことができなくなったので ある。
万一、人間が堕落しなかったならば、いかなる結果になったであろうか。人間が堕落し ないで完成したならば、まず神の心情、すなわち愛を通じて喜びを得ようとする情的な衝 動をそのまま受け継いで、神が愛の神であるように人間は愛の人間になったであろう。そ して心情を中心とした神の創造性を完全に受け継ぐようになったであろう。
これはすべての主管活動が、心情を土台とし、愛を中心とした活動になることを意味す る。すでに述べたように、政治、経済、産業、科学、芸術、宗教などは、物質を扱う限りに おいて、すべて主管活動であるが、そのような活動が神から受け継いだ創造性(完全な 創造性)に基づいた愛の主管活動に変わるようになるのである。

ありがとうございます。
神様に感謝します。


2014年7月3日木曜日

霊性を高める意識が必要です。神様に感謝して瞑想をしましょう。

神様に感謝します。
瞑想をしましょう。
私達は、霊性を高める意識が必要です。
神様を思い、霊界を意識することは、良いと感じます。
悪い霊が、存在することは、事実ですから、私から、悪い霊が、抜けて、良い霊に包まれることを意識しましょう。
感謝の気持ちを何時も持ちながら、生活しましょう。
神様が共にいることを意識しましょう。
私を変えるのは、私です。

感謝の気持ちで、
神様、私は、どのようにしたら良いのですか?
教えてください。
私は、このようにしたいのですが、良いですか?
だずねてみましょう。
良い答えか見つかります。
(すぐに見つからなくても、意識しましょう。)

イメージが、湧いてきます。
感謝します。
私が変わります。
心が変わることを意識しましょう
神様に感謝します。
神様と共に生きることを感謝します。
ありがとうございます。
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感謝します。
瞑想の恵みを感じてください。
ありがとうございます。

2014年7月1日火曜日

神様についてですが、神様が、神様を創造したと考えられる。 それは、夜の神様と昼の神様です。 夜の神様と昼の神様の性相と形状 三数的な存在になる。

私が何故?文鮮明先生ご夫妻、天地人真の父母様のみ言、生き方を学ぶのか?
何故?統一思想、統一原理、原理本体論、特に創造原理の部分について、考えているのか?
神様と神様の本体を知り、私が本当に、神の子になれるのか?
考え、実験、研究しています。
「仮説としては、神の子になれます。」と以前言いました。
私の考えを書きます。
(基本的に統一原理、真の父母様のみ言を中心に考えます。)
仮説、始めは、神様についてですが、神様が、神様を創造したと考えられる。
それは、夜の神様と昼の神様です。
夜の神様と昼の神様の性相と形状
三数的な存在になる。
原理講論より
「被造世界は神の本性相と本形状とが数理的な原則によって、実体的に展開されたものである。ここにおいて我々は、神は数理性をもっておられるということを推測できる。またさらに、神は絶対者でありながら、相対的な二性性相の中和的存在であられるので、三数的な存在である。」
夜の神様と昼の神様の性相と形状が「神は絶対者でありながら、相対的な二性性相の中和的存在であられるので、三数的な存在である。」
と私は、考えました。
神様の三位一体の内的意味だと思います。
昼の神様が、ビッグバン後、実体的に展開されたのが、被造世界だと考えます。

「人間は天宙の和動の中心として創造されたので、すべての被造物の二性性相の実体的な中心体であるところのアダムとエバが、完成されて夫婦になってから、彼らがお互いに和動して一体となったときに、初めて二性性相として創造された全天宙と和動することができるのである。このように、アダムとエバが完成された夫婦として一体となったその位置が、正に愛の主体であられる神と、美の対象である人間とが一体化して、創造目的を完成した善の中心となる位置なのである。ここにおいて、初めて父母なる神は、子女として完成された人間に臨在されて、永遠に安息されるようになるのである。このときこの中心は、神の永遠なる愛の対象であるために、これによって、神は永遠に刺激的な喜びを感ずるようになる。また、ここにおいて初めて、神のみ言が実体として完成するので、これが正に真理の中心となり、すべての人間をして創造目的を指向するように導いてくれる本心の中心ともなるのである。それゆえに、被造世界は、このように人間が完成されて、神を中心として夫婦となることによってつくられる四位基台を中心に、合目的的な球形運動をするようになる。」

初めて父母なる神 (昼の神様) は、子女として完成された人間 (天地人真の父母様) に臨在されて、永遠に安息されるようになるのである。
この事が、外的、神様の三位一体にあたると思います。
その他にも、原理を中心に説明したいのですが、別の内容を話します。

神様が、神様を創造したので、人間も、自分自身を創造しないといけない。
み言を守り、個性完成させる。
(+神の三大祝福を完成)

「人間を中心とする被造世界が存在する目的は、神を喜ばせることであった。また、すべての存在は二重目的をもつ連体である。」

神様が、神様を創造し被造世界を創造された。
人間も、個性完成させて、神を喜ばせる。
個性完成は、どのようにするか?
責任分担を守るなど、個性完成した人をまねる?
文鮮明先生ご夫妻、天地人真の父母様のみ言、生き方を学ぶ
(個性完成した人から学ぶ。)
個性完成、家庭完成、万物主管完成して、神の子になる。

詳しく書きたいのですが、今回は、これで終わります。
あくまでも、私の考えです。
(この考えは、統一原理で説明出来るか?をポイントに考えています。
統一原理から外れていれば、それは、原理ではありません。
私は、そのように考えています。)
私の考え方も、統一原理から外れないように祈ります。

*霊的集団と言われる方の新しい神様のみ言の内容が、統一原理を外れている時は、それは、原理ではありません。
それを信じ行動することは、個人の自由ですが、勘違いしている方がいるので、その事を言いたいです。
統一原理が正しいと分かれば、共に統一原理を学びましょう!
全てに感謝します。

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あなたは何故? 統一原理を学ぶのか? 学ばないのか? これは、あなたが、答えをだしてください。 私が何故?統一思想、統一原理、特に創造原理の部分について、考えているのか? 私は、人間(自分)が神の子になれるのか、科学、研究する為です。

何故統一思想、統一原理を学ぶのか?
何故?文鮮明先生ご夫妻、天地人真の父母様のみ言、生き方を学ぶのか?
勿論、学ばない人もいます。
私は、正しく理解し学んでいるか?
(私の問題は、私が解決しなければなりません。)

あなたは何故?
統一原理を学ぶのか?
学ばないのか?
これは、あなたが、答えをだしてください。

私が何故?統一思想、統一原理、特に創造原理の部分について、考えているのか?
私は、人間(自分)が神の子になれるのか、科学、研究する為です。
神様を知る為に、神様の本体を知る為に、原理本体論、統一原理を勉強しています。
本当に、神の子になれるのか?
実験、研究しています。
仮説としては、神の子になれます。
あなたは、神の子になれると考えていますか?
(この質問は、傲慢な質問ですね。すいません。ごめんなさい。)
私は、まだ、仮説の段階ですから、…。
でも言えることは、
統一思想、統一原理、原理本体論や天地人真の父母様のみ言、生き方を学ぶのは、私が神の子になる為です。

お金儲けの為に学んでいる人もいると思います。
悪いことでは、ないと思います。人それぞれ、ですから…。

皆さん頑張りましょう!

皆さんの目標達成の為に、皆さんの健康を祈ります。
なりたい自分になれる。
イメージしましょう。
自分のことを…。
感謝します。

神様に感謝します。


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2014年6月29日日曜日

心情の本体、真の愛の本体、み言の本体に、なりますように。 神様に感謝します。

「神様の真の愛を相続しょう!」
神様に感謝して良心瞑想神霊瞑想をしましょう。
授受作用、四位基台、神様の真の愛を相続します。
原理の生活をして天国人になります。
神様の願いに叶う生活をして、神様の願いに応えることのできる私に変わります。
今まで、自分なりの生活をしていたことを反省します。すいませんでした。
神様、不足な私ですから、教えてください。
私の心、私の良心が、神様と一心・一体・一念・一核とまりますように。
私の心から、邪心・堕落性をなくす。(今までの生活は、サタンがつかんでました。)
私の思いから、妬み・嫉妬・怨み・恨,不平不満の思いをなくしてください。
神様に感謝します。ありがとうございます。
神様の真の愛を相続します。
真の愛の生活!
感謝の生活!
為に生きる生活!
よろしくお願いします。
私が変わると、霊界の先祖も変わります。
(先祖解怨されますように。)
天使が、善の天使、完成体へ変化していく。
神様に感謝します。
心情の本体、真の愛の本体、み言の本体に、なりますように。
神様に感謝します。
神様は、無限大の霊、無限大の力としておられる。
力(エネルギー)の本体です。
私が、力(エネルギー)の本体である神様と一体となりますように!
神様、よろしくお願いします。
神様、感謝します。
ありがとうございます。

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