あなたの考え方は、あなたの考えです、私の考えではありません。 私達は、自己判断、自己責任です。 自分が正しいと思うことは、チャレンジしましょう。

神様の真の愛を相続しょう!
神様に感謝します。
統一思想には、「霊人体の成長とは、ただ責任分担を完遂することによってのみなされる。」
「ここ で責任分担の完遂とは、神に対する信仰を堅持し、戒めを固く守る中で、誰の助けも受けないで、内的外的に加えられる数多くの試練を自らの判断と決心で克服しながら、愛 の実践を継続することをいう。」
とあります。
個人的な考えとして、アベルからのみ言に対して、言われた事をするのは、アベルとの約束で、人間の責任分担を果たすことではないと考えます。
(アベルのみ言プラス…!が必要と感じます。)
約束は、守るべきですが、責任分担を果たした事にはならないと考えます。(約束は、責任分担の一部かもしれませんが、全てではないと考えます。)
「ここ で責任分担の完遂とは、神に対する信仰を堅持し、戒めを固く守る中で、誰の助けも受けないで、内的外的に加えられる数多くの試練を自らの判断と決心で克服しながら、愛 の実践を継続することをいう。」
( 誰の助けも受けないで、自らの判断と決心で克服しながら、愛 の実践を継続することをいう。)
アベルのみ言は、大切です、そのなかで、自分自身が、判断してください。

特に、今は、天一国時代です。
天一国主人が、あなたなら、アベルは、あなたです。
組織上のアベルは、…。外的組織が、重要でなく、心情組織が、重要だと…。

これを読んで、アベル批判と感じる方もいると思います。

それはそれで、良いと思います。
それは、あなたの考え方ですから、私の考えではありません。
私達は、自己判断、自己責任です。
自分が正しいと思うことは、チャレンジしましょう。
心情が、中心です。
心情文化世界を目指して!チャレンジしましょう。

天地人真の父母様は、真の父母・真の師・真の主人!
真の父母様に感謝します。
神様に感謝します。

間違いにきずいたら、すぐに、神様に祈り、反省して改めるべきです。
私は、そのように考え、発言しています。
嘘を言っているわけではありません。
お父様は、間違いは、許す。
嘘は、いけない。と言ってました。
直接聞いた内容です。
(原理本体論教育の時です。)
ここまでが、私の考えです。
自分の書いた内容を、読み返してみると、自分の考えの押し売りのように感じました。(すいません)
今回は、そのまま載せます。

最初は、統一思想、原相論
神 性で、私が、イイね!と感じた内容です。
・主管とは、自分の所有物や自分 が創造したものだけを主管するのが原則であり、他人の所有物や他人の創造物は主管 しえないようになっている。ことに人間は万物よりあとに創造されたのであるから、万物の 所有者にも創造者にもなりえないはずである。
・神は、人間を神の子として造られた ために、人間に御自身の創造主の資格を譲り与え、主管主として立てようとされたのであ る。そのために人間が一定の条件を立てるようにせしめて、それによって人間も神の宇 宙創造に同参したものと認めようとされたのである。

人間が完 成することによって初めて宇宙創造も完成するからである。

・創造は、創造者自身の責任のもとでなされる。神が宇宙を創造されるのに神自身の責 任のもとでなされた。
そしてアダムとエバが自身を完成させることは、創造主たるべきア ダムとエバ自身の責任なのであった。そのような理由のために、神はアダムとエバに責 任分担を負わせたのである。

・人間が堕落し ないで完成したならば、まず神の心情、すなわち愛を通じて喜びを得ようとする情的な衝 動をそのまま受け継いで、神が愛の神であるように人間は愛の人間になったであろう。そ して心情を中心とした神の創造性を完全に受け継ぐようになったであろう。

これはすべての主管活動が、心情を土台とし、愛を中心とした活動になることを意味す る。

統一思想、原相論
神 性より

霊人体の成長とは、肉身の場合のように霊人体の身長が 大きくなることを意味するのではない。霊人体は肉身に密着しているので、肉身の成長に従って自動的に大きくなるようになってはいるが、ここでいう霊人体の成長とは、霊人体の霊性の成熟のことであり、それは人格の向上、心情基準の向上を意味する。要するに、 神の愛を実践しうる心の姿勢の成長が、霊人体の成長なのである。
このような霊人体の成長は、ただ責任分担を完遂することによってのみなされる。ここ で責任分担の完遂とは、神に対する信仰を堅持し、戒めを固く守る中で、誰の助けも受けないで、内的外的に加えられる数多くの試練を自らの判断と決心で克服しながら、愛 の実践を継続することをいう。
神も干渉することができず、父母もいない状況で、そのような責任分担を果たすということは大変難しいことであったが、アダムとエバはそのような責任をすべて果たさなければ ならなかった。

しかしアダムとエバはそのような責任分担を果たすことができず、結局、サ タンの誘惑に陥って堕落してしまった。それでは神はなぜ失敗しうるような責任分担をア ダムとエバに負わせたのであろうか。万物のように、たやすく成長しうるようにすることも できたのではないであろうか。

それは人間に万物に対する主管の資格を与えるためであり、人間を万物の主管主に するためであった(創世記 1 ・28、『原理講論』、131 頁)。
主管とは、自分の所有物や自分 が創造したものだけを主管するのが原則であり、他人の所有物や他人の創造物は主管 しえないようになっている。ことに人間は万物よりあとに創造されたのであるから、万物の 所有者にも創造者にもなりえないはずである。

しかし神は、人間を神の子として造られた ために、人間に御自身の創造主の資格を譲り与え、主管主として立てようとされたのであ る。そのために人間が一定の条件を立てるようにせしめて、それによって人間も神の宇 宙創造に同参したものと認めようとされたのである。

人間の完成と責任分担
その条件とは、アダムとエバが自己を完成させることである。すなわちアダムとエバが 誰の助けも受けないで自己を完成させれば、神はアダムとエバが宇宙を創造したのと同 様な資格をもつものと見なそうとされたのであった。なぜならば、価値から見るとき、人間 一人の価値は宇宙全体の価値と同じだからである。すなわち人間は宇宙(天宙)を総合 した実体相であり(『原理講論』 、61、84 頁)、小宇宙(同上、 84 頁)であり、また人間が完 成することによって初めて宇宙創造も完成するからである。

イエスが「たとい人が全世界 をもうけても、自分の命を損したら、なんの得になろうか。また、人はどんな代価を払って、 その命を買いもどすことができようか」(マタイ 16 ・26)と言われたのも、そのような立場か らである。したがってアダムとエバが自ら自身を完成させれば、価値的に見て、アダムと エバは宇宙を創造したのと同等な立場に立つことになるのである。
創造は、創造者自身の責任のもとでなされる。神が宇宙を創造されるのに神自身の責 任のもとでなされた。
そしてアダムとエバが自身を完成させることは、創造主たるべきア ダムとエバ自身の責任なのであった。そのような理由のために、神はアダムとエバに責 任分担を負わせたのである。

しかし神は愛の神であるゆえに、 100 パーセントの責任をアダムとエバに負わせたのではなかった。人間の成長の大部分の責任は神が負い、アダムとエバには 5パーセンと と いう非常に小さな責任を負わせて、その 5パーセントの責任分担を果たしさえすれば、彼 らが 100 パーセントの責任全体を果たしたものと見なそうとされたのであった。
そのような 神の大きな恵みにもかかわらず、アダムとエバは責任分担を果たすことができずに堕落 してしまった。そのために結局、神の創造性を完全に受け継ぐことができなくなったので ある。
万一、人間が堕落しなかったならば、いかなる結果になったであろうか。人間が堕落し ないで完成したならば、まず神の心情、すなわち愛を通じて喜びを得ようとする情的な衝 動をそのまま受け継いで、神が愛の神であるように人間は愛の人間になったであろう。そ して心情を中心とした神の創造性を完全に受け継ぐようになったであろう。

これはすべての主管活動が、心情を土台とし、愛を中心とした活動になることを意味す る。
すでに述べたように、政治、経済、産業、科学、芸術、宗教などは、物質を扱う限りに おいて、すべて主管活動であるが、そのような活動が神から受け継いだ創造性(完全な 創造性)に基づいた愛の主管活動に変わるようになるのである。

感謝します。
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