霊人体の成長とは、霊人体の霊性の成熟のことであり、それは人格の向上、心情基準の向上を意味する。要するに、 神の愛を実践しうる心の姿勢の成長が、霊人体の成長なのである。

「神様の真の愛を相続しょう!」
神様に感謝します。
統一思想、原相論
神 性より
創造性と責任分担
ここで原理自体の自律性とは有機体の生命力をいい、主管性とは生命力の環境に対する影響力をいう。例えば一本の木が成長するのは、その内部の生命力のためであり、 主管性はその木の生命力が周囲に及ぼす影響をいうのである。人間の成長の場合にも、 この原理自体の自律性と主管性が作用する。しかし人間においては、肉身だけが自律性と主管性によって成長するのであり、霊人体はそうではない。霊人体の成長には別の 次元の条件が要求される。それが責任分担を完遂することである。
ここで明らかにしたいことは、霊人体の成長とは、肉身の場合のように霊人体の身長が 大きくなることを意味するのではない。霊人体は肉身に密着しているので、肉身の成長に従って自動的に大きくなるようになってはいるが、ここでいう霊人体の成長とは、霊人体の霊性の成熟のことであり、それは人格の向上、心情基準の向上を意味する。要するに、 神の愛を実践しうる心の姿勢の成長が、霊人体の成長なのである。
このような霊人体の成長は、ただ責任分担を完遂することによってのみなされる。ここ で責任分担の完遂とは、神に対する信仰を堅持し、戒めを固く守る中で、誰の助けも受けないで、内的外的に加えられる数多くの試練を自らの判断と決心で克服しながら、愛 の実践を継続することをいう。

神も干渉することができず、父母もいない状況で、そのような責任分担を果たすということは大変難しいことであったが、アダムとエバはそのような責任をすべて果たさなければ ならなかった。
にほんブログ村 哲学・思想ブログ スピリチュアルメッセージへ
にほんブログ村
神様に感謝します。
時間のある方は、続きを読んで下さった。

しかしアダムとエバはそのような責任分担を果たすことができず、結局、サ タンの誘惑に陥って堕落してしまった。それでは神はなぜ失敗しうるような責任分担をア ダムとエバに負わせたのであろうか。万物のように、たやすく成長しうるようにすることも できたのではないであろうか。
それは人間に万物に対する主管の資格を与えるためであり、人間を万物の主管主に するためであった(創世記 1 ・28、『原理講論』、131 頁)。主管とは、自分の所有物や自分 が創造したものだけを主管するのが原則であり、他人の所有物や他人の創造物は主管 しえないようになっている。ことに人間は万物よりあとに創造されたのであるから、万物の 所有者にも創造者にもなりえないはずである。しかし神は、人間を神の子として造られた ために、人間に御自身の創造主の資格を譲り与え、主管主として立てようとされたのであ る。そのために人間が一定の条件を立てるようにせしめて、それによって人間も神の宇 宙創造に同参したものと認めようとされたのである。
人間の完成と責任分担
その条件とは、アダムとエバが自己を完成させることである。すなわちアダムとエバが 誰の助けも受けないで自己を完成させれば、神はアダムとエバが宇宙を創造したのと同 様な資格をもつものと見なそうとされたのであった。なぜならば、価値から見るとき、人間 一人の価値は宇宙全体の価値と同じだからである。すなわち人間は宇宙(天宙)を総合 した実体相であり(『原理講論』 、61、84 頁)、小宇宙(同上、 84 頁)であり、また人間が完 成することによって初めて宇宙創造も完成するからである。イエスが「たとい人が全世界 をもうけても、自分の命を損したら、なんの得になろうか。また、人はどんな代価を払って、 その命を買いもどすことができようか」(マタイ 16 ・26)と言われたのも、そのような立場か らである。したがってアダムとエバが自ら自身を完成させれば、価値的に見て、アダムと エバは宇宙を創造したのと同等な立場に立つことになるのである。
創造は、創造者自身の責任のもとでなされる。神が宇宙を創造されるのに神自身の責 任のもとでなされた。そしてアダムとエバが自身を完成させることは、創造主たるべきア ダムとエバ自身の責任なのであった。そのような理由のために、神はアダムとエバに責 任分担を負わせたのである。
しかし神は愛の神であるゆえに、 100 パーセントの責任をアダムとエバに負わせたのではなかった。人間の成長の大部分の責任は神が負い、アダムとエバには 5パーセンと と いう非常に小さな責任を負わせて、その 5パーセントの責任分担を果たしさえすれば、彼 らが 100 パーセントの責任全体を果たしたものと見なそうとされたのであった。そのような 神の大きな恵みにもかかわらず、アダムとエバは責任分担を果たすことができずに堕落 してしまった。そのために結局、神の創造性を完全に受け継ぐことができなくなったので ある。
万一、人間が堕落しなかったならば、いかなる結果になったであろうか。人間が堕落し ないで完成したならば、まず神の心情、すなわち愛を通じて喜びを得ようとする情的な衝 動をそのまま受け継いで、神が愛の神であるように人間は愛の人間になったであろう。そ して心情を中心とした神の創造性を完全に受け継ぐようになったであろう。
これはすべての主管活動が、心情を土台とし、愛を中心とした活動になることを意味す る。すでに述べたように、政治、経済、産業、科学、芸術、宗教などは、物質を扱う限りに おいて、すべて主管活動であるが、そのような活動が神から受け継いだ創造性(完全な 創造性)に基づいた愛の主管活動に変わるようになるのである。

ありがとうございます。
神様に感謝します。


コメント

このブログの人気の投稿

歌♪『み旨の応援歌』

家庭連合の現役二世が有志で立ち上げた「信者の人権を守る二世の会」が主催となって、公開シンポジウムを開催することとなりました。