福母 塾 特別企画ブログセミナー開催!「本体を考える!」サブタイトル ( 神様の真の愛を相続しよう!)原理本体論を考える事が、天一国時代に必要ではないかと感じます。共に考えて見ませんか。

ブログセミナー参加
ありがとうございます。
「本体を考える!」
もちろん、原理本体論を中心に考えますが、皆さんの考え方と違う点があるかもしれませんが、もう一つの別の考え方と見て下さい。

神様は、
①心情、真の愛の本体
②知情意、真美善の本体
③原理、法度、秩序の根源となられる原理の本体
④真の愛、真の生命、真の血統の根源となる絶対性の本体
⑤良心の主体
⑥生命の本体 ( 根源者 )
⑦絶対、唯一、不変、永遠、自存者、遍在性

無限大の霊、無限大の力としておられる ( 力の本体 )

神様は、
⑴ 心情、真の愛の本体、原理の本体、絶対性の本体。

⑵ 知情意、真美善の本体、生命の本体 ( 根源者 )、力の本体 、

⑴の本体を中心に考えます。
⑵の内容も含まれます。
神様は、 心情の本体、真の愛の本体、原理の本体、絶対性の本体。

目に見えない神様の本体が、真の父母様であり、人類・人間。
私なりの表現をすれば、神様の実体的本体が、真の父母様であり、個性的本体が、子女である人間。
だから、私達は、心情の本体、真の愛の本体、原理の本体 (み言の本体)、絶対性の本体にならないといけない。
天一国入籍、神様の直接主管圏で生活する為に、私達は、神様の本体にならないといけないのではないか?
この時に、何が必要か?

真のお母様が、真のお父様の前に絶対マイナスの勝利基準、絶対信仰、絶対愛、絶対服従が、天一国入籍、天一国出生基準ではないかと感じます。
もちろん、絶対信仰、絶対愛、絶対服従の基準を勝利してないので、条件勝利の立場だと思います。
(お母様との一体化が条件になると思います)
天一国入籍祝福の時に、罪の無い状態、白紙の状態でないと、天一国入籍出来なかった。(私達に、条件が、なかったので… 。)

私達は、堕落観念を捨てないといけない。
ブログ村内のブログを読み、堕落観念を持ったまま、天一国入籍をされたのでは?と思うブログがあります。
天上天一国入籍は、堕落観念をなくさないと入れないと感じます。
これが、本当かウソと言うよりも、そのように考える方が、良いと思います。(天上天一国入籍に合格するため!)

次に、神様の真の愛を相続しよう!
ですが、私は、神様の心情を相続しよう!
の方が良いのではないかと感じてました。真の子女様が言われたので、神様の真の愛を相続しよう!で… 。
今回、このブログを書く事で、気が付いたことは、神様の真の愛を相続しよう!が、正しいと言うことを感じました。

神様の心情は、動的動きです。

神様の真の愛が中心であり全てである。
全ては、真の愛からできている。
地上は、空気を呼吸して生きていますが、神様の世界は、真の愛を呼吸して生きます。
これは、何を意味するか?
今、この時も、真の愛を呼吸して生きる?
私達が、真の愛の本体となり、神様の真の愛を相続することにより、真の愛を呼吸して生きることが出来る。
だから、神様の真の愛を相続することが、大切である。
聖書にある
『神はまた言われた、「水の間におおぞらがあって、水と水とを分けよ」。 そのようになった。神はおおぞらを造って、おおぞらの下の水とおおぞらの上の水とを分けられた。 (創世記 1:6, 7 )』
私のイメージとして、水の上に、おおぞらのペンキを塗る(重ね塗り)。おおぞらの中にも水は含まれる。
この水は、何か?
水は人間に必要なものですね。
水は、真の愛が、液体に成ったものなのでは?、おおぞらの上の水は、気体に成った水、真の愛。

おおぞらの下の水とおおぞらの上の水とを分けられた、これは、人間が産まれる時、お母さんのお腹の中で、羊水を意味し、地上では、空気を、霊界では、真の愛で生きることを意味するのかな?

人間が、神様の真の愛を相続する、真の愛を一番感じる、相続出来るところが、出産時かな?
そんなことを、考えさせられました。
神様の心情の相対が母なのでは、女性は弱いが、母は強しと言うので。

神様の真の愛を相続しよう!
これが、ポイントですね。

うまくまとめられませんでしたが、このことを意識して、行きたいです。
これらの内容をより深く理解できるように祈ります。
ありがとうございました。
(この内容は、原理本体論教育が、基本にあります。)
それをもとに、私が感じた世界を話しました。
皆様が、神様の真の愛を相続できますように祈ります。

感謝します。
皆さんのご意見、ご感想、お待ちしています。
\(^o^)/







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