『 神は絶対者でありながら、相対的な二性性相の中和的存在であられるので、三数的な存在である。』   『神も永遠性をもつために、二性性相としていまし給うのであるし、神の永遠なる対象である被造物も永遠性をもつためには、神に似た二性性相として存在しなければならない。』     神様は、三数的な存在であり、永遠性をもつために、二性性相として存在する。   創造が相似の創造であるからである。     今回、三数的神様にこだわっているのでは、神様の創造の形、物差し、基準があったと仮説したからです。   『絶対者でありながら、相対的な二性性相の中和的存在』であり、『永遠性をもつために、二性性相として存在する。』   『神の永遠なる対象である被造物も永遠性をもつためには、神に似た二性性相として存在しなければならない。』     神様の創造の出発が、三数的で、被造物も永遠性をもつためには、神に似た二性性相として存在しなければならない。   (全ての出発が、第一原因の神様である事を説明したいため。)   見えない神様ですが、被造世界を観察する事により、知る事ができる。   原理講論より   『今日、すべての物質の究極的構成要素といわれている素粒子は、みな、陽性、陰性、または陽性と陰性の中和による中性を帯びている。これらが二性性相の相対的関係を結ぶことによって、原子を形成するのである。』   と書いてあります。   「素粒子は、みな、陽性、陰性、または陽性と陰性の中和による中性を帯びている。」   私の中で、なぜ?と思う事がありました。   それは、「素粒子に陽性と陰性の中和による中性を帯びている。」中性子があるのか?です。     原理講論に、書いてある、すべての物質の究極的構成要素といわれている素粒子は、一つの基準になります。   被造物・被造世界の出発の基準だから、神様に似て、三数に成っている。     神は絶対者(+と-の統一体,中和体)でありながら、相対的な二性性相の中和的存在であられるので、三数的な存在である。     天国(天一国)は、夫婦が共に永遠に住む場所と、言われます。   天国(天一国)の出発の基準は、神様と夫婦の三位一体です。     統一教会は、家庭主義を主張します。   個人主義は、いけない!   天国(天一国)は、一人では、生活出来ない。   神...