自然の風景などを見て、何を感じますか?

自然は、人間の教科書だ!
と言われます。
不思議な事や面白い事も沢山あります。

ある人が、汚れない壁を創りました。
( 汚れても綺麗になる壁と言うか、
汚れが着かない壁 ?)

今までの建物の壁は、雨 風を受けて、
汚れてしまっていました。
それを掃除するのが大変です。
特に、高い建物などは…。

掃除をしなくても綺麗な壁は、出来ないか?
自然の中で何か… 研究したそうです。

ゴキブリは、体がテカテカしているので、
これを壁にしたら、いつもテカテカしているのではと
考えたそうですが、
科学的に、ゴキブリの体と同じ素材の壁を創ると、
膨大なコストが、掛かってしまうそうです。

どんな壁を創ったかと言うと、
カタツムリの殻と同じ様に、凹凸を付け、
創った壁です。
汚れても、雨が降れば、汚れが、落ちてしまうそうです。

自然の力はすごい!と感じました。

自然の中に、いろいろ アイディアが、隠されていると感じます。

また、自然の景色・風景を見て美しい!と感じませんか?

旅などに出て、
自然の風景を見たり、
動物や昆虫 植物を見て、
気分転換をしたりしますょね。
心の洗濯!
いいですよね!

自然の中に感動が、あります。
この自然・宇宙は、誰が創ったか?
それは、神様です。
奇跡と偶然だけで、…
無理です。
神様が、いるから、被造世界 ( 自然・宇宙など )が、創られました。

神様は、人間の為に、被造世界を創られました。

*原理講論より

宇宙は何のためにあるのであり、その中心は何であるのだろうか。それは、まさしく人間である。ゆえに、神は人間を創造されたのち、被造世界を主管せよ(創一・28)と言われた。もしも、被造世界に人間が存在しないならば、その被造世界は、まるで、見物者のいない博物館のようなものとなってしまう。つまり、博物館のすべての陳列品は、それらを鑑賞し、愛し、喜んでくれる人間がいて初めて、歴史的な遺物として存在し得るところの因縁的な関係が、それらの間で結ばれ、各々その存在の価値を表すことができるのである。もしも、そこに、その中心となる人間が存在しないとすれば、それらはいったいいかなる存在意義をもつであろうか。人間を中心とする被造世界の場合も、これと少しも変わるところはない。すなわち、人間が存在して、被造物を形成しているすべての物質の根本とその性格を明らかにし、分類することによって初めて、それらはお互いに、合目的的な関係を結ぶことができるのである。さらにまた、人間が存在することによって初めて、動植物や水陸万象や宇宙を形成しているすべての星座などの正体が区別でき、それらが人間を中心として、合目的的な関係をもつことができるのである。それから物質は人間の肉体に吸収されて、その生理的な機能を維持させる要素となり、森羅万象は人間の安楽な生活環境をつくるための材料となるのである。これらはみな、人間の被造世界に対する形状的な中心としての関係であるが、これ以外にも、また、性相的な中心としての関係がある。前者を肉的な関係であるというならば、後者は精神的、または霊的な関係である。物質から形成された人間の生理的機能が、心の知情意に完全に共鳴するのは、物質もやはり、知情意に共鳴できる要素をもっているという事実を立証するものにほかならない。このような要素が、物質の性相を形成しているために、森羅万象は、各々その程度の差こそあれ、すべてが知情意の感応体となっている。我々が自然界の美に陶酔して、それらと渾然一体の神秘境を体験できるのは、人間が被造物のこのような性相の中心ともなるからである。人間は、このように、被造世界の中心として創造されたために、神と人間が合性一体化した位置が、まさしく天宙の中心となる位置なのである。

ありがとうございます。
感謝します。

神様の力と真の愛が、共にありますように!
天の父母様と真の父母様、天一国完成!
天一国の民の完成を祈ります。
全ての完成を祈ります。
アージュ。

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