夜の神様は、本性相で、昼の神様は、本形状である。夜の神様と昼の神様が、一つに成ると、本性相と本形状の二性性相の中和的主体の神様と成ると私は思います。

今回のブログタイトル以外に、もう一つ、違うタイトルも、考えていました。
それは、『お父様は、なぜ、「夜の神様と昼の神様」と言う名前にしたのか、
父なる神様(天の父様)、母なる神様(天の母様)と名ずけなかったのか?』です。
私は、夜の神様、昼の神様は、
聖書の中の、神は光を昼と名づけ、やみを夜と名づけられた。
夕となり、また朝となった。第一日である。 (創世記 1:5 )
から、付けられたと、思います。
夕となり、また朝となった。の部分は、
夜の神様が、主体で、昼の神様が、対象と、言う事も、表していると思います。
勿論、原理で学ぶような、夜に、成長する。その他の意味も、有ると思います。
この話の続きは、次の機会に話したいと思います。

お父様が、夜の神様は男性であり、昼の神様は女性だと言われたと、聞きました。
勿論、間接的です。
それで、夜の神様は男性だとあるので、父なる神様(天の父様)と、言えるのではないか?
昼の神様は女性だと言われたので、母なる神様(天の母様)と、言えるのではないか?
その様にも考えました。
なぜなら、今は、真の神様を、天の父母様と、言っているから、そう考えるられる。
そうも思いました。
しかし、以前、み言は原理であるし、お父様は、み言の実体であり、原理の実体であると、聞いた事かあります。
なので、原理講論には、どの様に書いてあるのか、みて見ました。
そこに、神様は、本性相的男性と本形状的女性との二性性相の中和的主体としておられる
と書いてあります。
お父様の言われた夜の神様の後に本性相的、昼の神様の後に本形状的にを、付けてみて下さい。
夜の神様は本性相的男性であり、昼の神様は本形状的女性の二性性相の中和的主体とつながると思いませんか?
私は、夜の神様は、本性相、昼の神様は、本形状で、本来は一つの神様です。
いつ、二つに別れたか、それは、アダムとエバの堕落の時。
これは、噂話しに聞いたので詳しく分かりませんが、
アダムとエバの堕落の時に、昼の神様から、夜の神様が離れた。
夜の神様と昼の神様が、喧嘩したとか、
夜の神様が、暗い暗い所にいて、お父様が、
夜の神様を探すのに、なかなか探せなかった。など聞きました。

一つの神様が、二つに別れたから、夜の神様と昼の神様
が、生まれたのかな? と思った時もありました。

はじめの頃は、今と違った考えをしていました。
以前から、夜の神様と昼の神様は、考えていましたが、
ここ数日で、いろいろな事がひらめいて来ました。
私の考えがわかってもらえたら嬉しいですが、
なんか変だな? と、思う方が多いのでは?。
次回のブログは、もう一つのタイトルの方を書きたいと思います。
しかし、これで終われば、次回のブログを、読む人が、いないと思うので、
少し次回の予告的な話をします。

原理講論、創造原理、神の二性性相 より、
「存在しているものは、いかなるものであっても、それ自体の内においてばかりでなく、他の存在との間にも、陽性と陰性の二性性相の相対的関係を結ぶことによって、初めて存在するようになるのである。」
神様を考えた時、性相と形状に、分ける事が出来るが、神様を、陽性と陰性に、分ける事は出来ない。なぜなら、…
1.創造原理に、書いてある。↑
「存在しているものは、いかなるものであっても、それ自体の内においてばかりでなく、他の存在との間にも、陽性と陰性の二性性相の相対的関係を結ぶことによって、初めて存在するようになるのである。」
言いかえれば、「陽性と陰性の二性性相の相対的関係を結ぶ事が出来なければ、存在出来ない。」と、言えると思います。
だから、神様を、陽性と陰性に、分ける事は出来ない。
2.原理本体論に出てくる。
生殖器の話しがあります。…

この続きは、次回ブログで書きます。
私のブログは、私の考えを書いてます。
一つの考え方として読んでもらえたら嬉しいです。
このブログに、嘘は書いていませんが、私の知識や統一原理の理解不足で、間違いが、有るかもしれません。その時は、訂正します。皆さんがきずいた点や、ご意見や感想などあお待ちしています。

このブログを読んで下さりありがとうございます。
皆様に神様の祝福がありますように!
祈り アージュ



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