聖書に、神は光を昼と名づけ、やみを夜と名づけられた。 とあり、昼の神様・夜の神様の名前は、ここから付けたと思います。 この事から、どのような事が考えられるか?考えて見ました。



聖書に、神は光を昼と名づけ、やみを夜と名づけられた。
とあり、昼の神様・夜の神様の名前は、ここから付けたと思います。
この事から、どのような事が考えられるか?
光の神様と呼ぶ方もいると思いますが、この光は、結果的存在であると考えられます。
(聖書に神は「光あれ」と言われた。すると光があった。
とあるように、神様が言った結果、光があった)
やみが、心で、光が、体の神様です。
やみが、主体で、光が、対象です。
夜の神様は、男性であり、昼の神様が、女性と言われたみ言が、あります。
それは、夜の神様が、主体であり、昼の神様が、対象と言うことです。
霊界は、陰暦だと言われるのも、神様において、陰が主体だからです。

夕となり、また朝となった。第一日である。
聖書に書いてありますが、神様が、主体ですから、神様から見れば、陰が、主体で、陽が対象なので、夕となり、また朝となった。
これが、第一日です。
人間から見れば、陽が主体で、陰が、対象です。
人間の目で感じれば、昼となり夜になり一日ですよね。
神様の目で見て感じて下さい!
昼の神様と光の神様は、同じ神様ですが、
表現している意味あいは違うと感じます。
光は、エネルギーですが、
やみは、前エネルギーです。(統一思想的表現です)

光とやみの関係は、発電所と電気の関係かな?と思います。
スイッチを入れると電気が付く、光ですね。
やみは、発電所です。
やみと光 は、一体です。
光あれ!で、スイッチを入れたので、光が、明るく光ったと言うことです。
スイッチを切れば、暗くなる。

こんな事を考えました。

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