霊界通信機器の研究所名は…
2. これまでの経過 「ご指示から決意まで」
(Archiveに添って古い投稿からお読み下さい。)
文総裁のご指示
1993年頃からと記憶しておりますが、 「霊界感知装置を開発するように」というご指示を受けるようになりました。「なぜ、霊界通信機を開発するように言われたのか、果たしてそのような技術が可能なのか」という疑問と葛藤があり、私は長い間この問題を考えてきました。
文総裁との対話
1996年、ウルグアイ・プンタデルエステの海岸で、文総裁に、「霊界は人の心が感じるもので、装置の開発は出来ないのではないでしょうか?」と聞きました。その時、文総裁は、はっきりと「装置として出来る。永久機関もできる」と言われました。
決意
1999年8月、このような経過の中で、霊界通信機のために祈祷をすると、私の心に、「とにかくやれ!おまえがやらなくて誰がやるのか!我々の苦労に比べればおまえの苦労など問題ではない!その装置を操作するのは霊界にいる我々である。時がない!早くやれ!」という思いが強く響いてくるのが分かりました。
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文総裁のご指示
1993年頃からと記憶しておりますが、 「霊界感知装置を開発するように」というご指示を受けるようになりました。「なぜ、霊界通信機を開発するように言われたのか、果たしてそのような技術が可能なのか」という疑問と葛藤があり、私は長い間この問題を考えてきました。
文総裁との対話
1996年、ウルグアイ・プンタデルエステの海岸で、文総裁に、「霊界は人の心が感じるもので、装置の開発は出来ないのではないでしょうか?」と聞きました。その時、文総裁は、はっきりと「装置として出来る。永久機関もできる」と言われました。
決意
1999年8月、このような経過の中で、霊界通信機のために祈祷をすると、私の心に、「とにかくやれ!おまえがやらなくて誰がやるのか!我々の苦労に比べればおまえの苦労など問題ではない!その装置を操作するのは霊界にいる我々である。時がない!早くやれ!」という思いが強く響いてくるのが分かりました。
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