夜の神様・昼の神様を一日の神様と呼ばないのはなぜか?神様は、なぜ?被造 世 界・宇宙、万物、人間を創造したのか?などを考えます。

夜の神様・昼の神様を一日の神様と呼ばないのはなぜか?
神様を、父なる神、天のお父様と呼んだり、
天の父母様と呼んだりしますよね。

夜の神様・昼の神様を一日の神様と呼ばないのはなぜか?
夜の神様・昼の神様を知らないからなのか?

この答えは、私も今は知りませんが、少しあれこれ、考えてみます。

神様を中心に考えた時に、一日に成っていないから?…
天において、闇の期間が、長くあり、
光の期間になった…
今が、光の期間で、もし、闇の期間が訪れ、また、光の期間がやって来るなら、
一日の神様と言う考えも、出来ると思います。
今後も永遠に、光の期間だと思います。

( 個人的に、思うことは、人間を中心に、24時間が、一日ですが、
神様の永遠の時間において、一日( 夜と昼 ) は、永遠の時間であり、その永遠の昼の世界にいるのが、今の我々だと思います。
神様をこえない限り、神様の一日をこえることはないと思います。…
これ以上、話すとややこしいので、別の話にします。)

神様は、なぜ?被造世界・宇宙、万物、人間を創造したのか?
神様は、長い期間、一人だったと言われてます。
この期間は、闇の期間だと思います。

神様は、神様が好きで好きで仕方がなかった、期間長く有りました。
それから、一人でいる事に気付き、さびしさを感じ、
そして、誰かを愛したくなった…。
喜びたい!から、被造万物・人間を創造した。

神様の創造の動機は、喜びたいから…。

原理講論より。
「 神の創造目的に関する問題を詳細に知るためには、我々がどんな状態にいるときに、喜びが生ずるかという問題を先に知らなければならない。喜びは独自的に生ずるものではない。無形のものであろうと、実体であろうと、自己の性相と形状のとおりに展開された対象があって、それからくる刺激によって自体の性相と形状とを相対的に感ずるとき、ここに初めて喜びが生ずるのである。…
ゆえに、神もその実体対象からくる刺激によって、それ(神)自体の本性相と本形状を相対的に感ずるとき、初めて喜びに満たされるということを知ることができる。」

人間も、一人では、自己満足を感じることは、あると思いますが、 神様を中心とした、本当の喜びを感じることは出来ません。

だから、個人主義は、いけない、
家庭主義、家庭を大切に!と言われます。

天国は、夫婦 ( 二人 ) が、一つに成り入る国で、統一教会は、天一国と言います。

夫婦が、一つになる、それが、神様の姿だからです。
原理本体論教育で、学んだと思います。

統一原理を学ぶ事で、新しい発見も沢山あると思います。
人間の立場で、統一原理を学ぶのではなく、
神様の立場、神様のものの見方、神様の心情で、統一原理を学ぶ事を願います。
神様が、どのように考え、今まで摂理してきたか、それを忘れないでください。

( 統一原理を利用している、霊的集団の方は、神様の事を忘れていると思います。)

神様を中心考えて、個性を大切に、頑張りましょう!

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