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5月, 2013の投稿を表示しています

統一教会を批判する人は、洗脳している!と言うが、これだけでなく、統一教会は、人間が、神の子である、心情の本体になる為に、洗脳、洗心、洗体、このような、洗濯をしています。 心の洗濯でなく、心情の洗濯です。堕落により神様の心情を忘れた人間を復帰して、最後に心情の洗濯です!

統一教会に詳しいと言って、洗脳だけ言って、統一教会は、洗脳集団で、悪い事ばかりしている? そんな、イメージをマスコミなどに与えました。 これが、洗脳です。知らず知らずのうちに、…。 怖いですね!あなたは、 既に洗脳されている! 統一教会に、詳しいと宣伝し マスコミで反対していた方を見てると、 統一教会に詳しい?違いますね。 統一教会に反対する立場で、統一教会を見てる方たちです。 統一教会に反対する人は、洗脳だけを強調していますが、心の洗濯が、ある様に、統一教会は、神の子・心情の本体になるように洗濯しているのです。 心の洗濯でなく、統一教会は、心情の洗濯をしているんです。 だから、心情の本体に成る事が出来るんです。 心情の本体が、良くわからない方は、神の子、光の子、真の愛の子など表現方法は、いろいろ有ると思います。 洗脳を統一教会はしていると言って、マスコミに出ている方を本当に信じていいんですか? いいんです〜!と言う方もいると思います。信じるのは自由です。私が、言いたい事は、統一教会を正しく知り、神様を正しく知り、統一原理を正しく知り、判断してください。正しく理解して反対するのであれば、それは、それで、良いと思います。 統一教会は、洗脳に、専念していません。 統一教会 反対に専念している方は、千年の時を失う事と同じであり、神様や統一原理の勉強に専念する事は、千年の時を得たのと同じです。 一日を千年のごとく、千年を一日のごとく。 頑張りましょう。 ありがとうございます。 このブログを見た方が、神霊と真理に包まれ、 神様の真の愛を相続出来る事を祈ります。

ミッション的 伝道を考えました。統一教会の世界的伝道スローガンは、「神様の真の愛を相続しょう!」です。福毋塾!あれこれ考えてみます。

タイトル内の、福毋塾!あれこれ考えてみます。 これは、私の個人的考えです。 一つの考え方として、読んでもらえれば嬉しいです。 ミッション的 伝道 とつけたのは、 伝道のイメージが、人により違うと思うので 一般的な伝道では、ない事を表したかった為、 宗教の伝道、イメージ的に、洗脳されると考える方が多いと思います。 私が、洗脳…と考えた時に、 テレビ CMも、一つの洗脳だと考えます。 この話は、本題では、なかったので、ミッション的 伝道 について、考えます。 ミッション的 伝道 、統一教会の伝道の考えは、 一番目の伝道は、自己伝道です。 これは、自分自身に、神様のみ言を伝え、神様に近ずかせること。 自分自身や家庭内でのみ言訓読や祈りの生活など。 二番目の伝道は、内部 伝道です。 これは、教会内部の人に、良い影響を与えるようにする。 三番目に、外部 伝道、神様や統一教会を知らない人に、 神様や統一教会を伝えること。 ミッション的 伝道  と言ったのは、 自己伝道の大切さと、このことを意識している事を、 表す為に使いました。 伝道での洗脳をどう考えるか? 私の考えは、統一教会は、洗脳しているだろうと、 言われたら、考えてしまいます。 何故か? 洗脳の考え方が、皆さんの考え方と違うからです。 洗脳を完全にしてないのか? と聞かれたら、そんな事は、ないと答えるかもしれませんが、 私の考えは、統一教会、文鮮明先生は、洗脳 だけでなく、 洗心これは、心を清くする事、良い心情にする事などを意味します。 これは、真の子女様のみ言にありました。 そして、洗体 をしています。 洗体 は、 身体を洗う事か?と考えると思いますが、 お風呂などで身体を洗うのとは、違います。 体には、悪い霊が沢山いると言われてます。 それが、働き、良くない事がおきたり、 悪い霊が働いて病気に成る事が有ると言われます。 この悪い霊をとり除いたり、善なる事をして、神様が喜ばれる様にする。体を守る。 洗体 です。 これら、洗脳、洗心、 洗体  をしているのが、統一教会、統一運動、 だと思います。 洗脳だけを取り上げると、イメージが悪く、 言葉だけが一人歩きしていると感じます。 いろんな角度から、統一教会、統一原理を

心の想い心の詩「今を大切に!」

今を大切に! 今がなければ、未来がない。 今、頑張るから、 未来が有るのだと思います。 人はみな迷う… でも、悪い事ではない。 そこで、何かを感じ… 成長する。 私を変える、大きな力に成る。 私は、迷い失敗ばかり…。 失敗が、失敗で終わらないように。 諦めなければ、必ず変わる。 私が変われば、未来は変わる。 最後の勝利を信じて! 頑張りましょう! 全てが、神様の愛と信じ。 感謝の生活を! だから、今を大切に! この時を感謝。 心の想い心の詩 ありがとうございます。 神様の祝福が、ありますように。

今日は、私が、変わるを考えたいと思います。

今日は、私が、変わるを考えたいと思います。 なぜ、変わりたいのか! 変わりたくない人もいると思いますが、 一つの考え方として、ブログを読んでください。 なぜ、変わりたいか?… 今の自分に満足してないから? 本当の自分は、今と違うと思うから? 嫌な事が多いから! 今の自分に満足している人は、変わりたいと思わないかもしれません。 自分に、満足してなくても、 変わる必要性を感じない方は、 変わりたいと思わないでしょう。 家庭を考えた時にはどうでしょう? 夫婦関係? 親子関係? 兄弟関係?親戚関係など… それから、地域、学校の関係、仕事・会社関係、国や、国と国 の関係、世界の関係など… 個人から、世界!全体を考えた時に、 全てに満足している人は、いないと思います。 全てに満足している人は、自分が、変わるのに、少し時間がかかると思います。 自分が、変わりたいと意識するから変われると思います。 人は、考え方が、全て違います。 人間には、個性があります。 個性を大切にする事は、大切な事です。 生活環境、組織の中では、時として、個性や性格などぶつかる、… 人間関係でのぶつかり、イジメ問題ですね。これは、学校だけでなく、社会、職場、家庭でも、ありますね。 虐待問題や、監禁問題、…これらは、許される問題では、ありません。 差別や偏見、噂などから、起きる事も有ると思います。 自分は、変わらなくとも、相手に変わって欲しいと願う。 そんな、人もいると思います。 相手に変わって欲しいと思う方は、その思いは、自分が、変わらないといけない、合図であると、考えてください。 私が、変わらないといけないと、教えてくれていると思えれば、感謝の心が、感謝の思いが出てきます。 相手に変わって欲しいと思えれば、どんな心が、湧いて来ますか?… 良い心、許しの心ですか? 悪い心、憎しみや嫉妬など、いじめや虐待心 どうですか? 悪い心が、湧いてくると思います。 だから、全てに、感謝する事は、自分が、変わる為の、最初の一歩だと、思います。 また、相手に変わって欲しい時の相手がかわる、最初の一歩も、感謝する事だと思います。 良い心は、

神様がはっきりと分かれば…「天地の大道」 文鮮明先生のみ言より

神様が、はっきりと分かれば、 創造原理が自然と出てくる。 「宇宙の根本は父子の関係であり、 万物は子女のための庭園である。 私の心と体はこのような関係になっていて、 神を中心とした相対基準を造成し、 四位基台を築くことができる。 それを永続的に維持していくには、 授受作用をしなければならない…」 このように自然と悟れるようになる。 ( 65年 10月 7日 ) 人間は堕落によって真理と信仰、人格を失い 心情を失ってしまった。 ( 65年 10月 17日) こんにちは、今回は、文鮮明先生のみ言を、 書きました。 み言のように、 神様が、はっきりと分かれば、 創造原理が自然と出てくる。 と、言われてます。 創造原理が自然と出てこないのは、 神様が、はっきり分からない、 神様が、よくわからないからだと言えると思います。 人間は堕落によって真理と信仰、人格を失い 心情を失ってしまった。 堕落によって、 私が、真理と信仰、人格を失い 心情を失ってしまった。 心情とは何でしょうか? 神様の心情を失ってしまった。 神様の心情が、わからなくなった。 だから、私が、神様を正しく知ること、 神様の心情を知ることが大切です。 神様の心情を知ることにより、 神様の真の愛も、知ることが出来ます。 神様の真の愛を知り、 神様の真の愛を相続して下さい。 私達の人生の目的は、 神様の真の愛を相続する事です。 なぜなら、 神様の真の愛を相続する事が、 人生の最大の喜びであり、 最大の幸福を感じる事が出来ます。 神様の愛と心情を知り、 神様の真の愛を相続して下さい。 その為に、統一原理と文鮮明先生のみ言を、 学んでください。 これが、神様の真の愛を相続する為の、 一番の近道です。 ありがとうございます。 皆さんに神様の祝福がある事を祈ります。 これからも、ハッピー!ラッキー!元気!で、 頑張りましょう! いつも神様が、共にありますように祈り 。

文鮮明先生のみ言集 感謝の生活

文鮮明先生のみ言集 感謝の生活 一九七〇年十月二十五日 韓国前本部教会 『文鮮明先生み言選集第三十五巻』  この世には多くの人が生きています。人は誰でも、現時点よりは良いあすを希望しつつ、より良い一日を迎えることを誓って、より価値ある内容を求めています。しかし、その価値ある内容を見いだすことができず、その内容を充足できなければ、落胆し絶望するという事実を現実の生活の中で見受けることがあります。 ◆人が本来あるべき所  それでは、人が本来行くべき所とはどこで、とどまるべき所とはどこかというと、今日私たちの願う未来の世界であるということなのです。あすの希望を中心とした生活舞台、あるいはそのような心情の基盤がつくられるところだと考えるのが、現在の人の考え方です。  本来神様のみ旨を中心として見ると、堕落前の人類の先祖が置かれていた立場は、不幸、嘆息、怨恨、願望といった感情をもって生きる立場ではありませんでした。それは、父母の懐に抱かれて養育される立場であり、保護を受ける立場でした。  そこにもし不幸の要因があるならば、神様は人間が不幸になる前に、その不幸に責任をもってくださるのであり、あるいはそこに落胆するような要因があるならば、神様がその内容をあらかじめ防いでくださるのです。そういう立場が本然の息子、娘の立場だということを考えると、本来アダムも不幸ではない立場にあり、エバも不幸ではない立場にあったにもかかわらず堕落したということができます。彼らの環境は不幸ではなかったのに、なぜ堕落したのかということが問題となるのです。  今日の私たち人間を考えると、二人いれば二人の考え方が違い、十人いればその十人の考え方がそれぞれ違います。それゆえ、すべての問題において、分裂、背反、苦衷といったものが起こるのです。  しかし二人、あるいは十人が一つの目的のために全く同じ立場で進めば、闘争もなく、分裂もあり得ないのです。  本来、神様はアダムとエバを中心としていらっしゃるべきであり、また、アダムとエバは神様のための立場に立たなければなりません。しかし、アダムとエバが完成しなければ、神様のために存在するという立場に立てないので、アダムとエバは神様のために存在できるようになるまでの成長過程を経なければな